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過去の投稿

June 2011 の投稿一覧です。
カテゴリー: 総合
投稿者: SuperVisor
帰り際に、訓練中の人たちのモニタリングの書類を部下が持ってきた。ひととおり目を通した。何回か読み返したが、意味がとりにくい。口頭で説明を求めると具体的に答えてくれる。そのまま、文章にすればわかりやすいのに残念だと思った。
例えば、基本的な知識と基礎的な知識。厳密に区別をしているのなら、それはそれで面白い。けれど、今日の場合、同じ意味合いで使っていた。
もう一つ。「車音」と「車道音」を利用してと言う区別しているかのような表現もあった。ちょつと、面白そうなので質問した。この場合使い分けていると思ったからだ。
車音と言った場合、おそらく、道路横断をする場合に自動車の進行音を切り取って自分の横断に役立てるように指導しているイメージだ。
車道音と言うのは、歩道を歩いている際に、自分の進行方向に平行に走る自動車の音を活用して、歩道上をまっすぐにぶれずに歩くというイメージ。その際の、音の活用法をどう指導しているのか。あえて、分けているならそれなりの理由があると思い、聴いてみた。
結局のところ、別段区別しているわけでもなく、あまり意識せず書いていた。
日本語というのは、微妙なニュアンスを表現することが出来るが、文脈においては、ぶれてしまう。そんなことを感じた。
自らの文章も相手によく伝わるようにわかりやすく、明確に表現する必要性を改めて感じた。
カテゴリー: 総合
投稿者: SuperVisor
日本ロービジョン学会に1年ぶりに参加した。港の近くの北九州国際会議場で行われた。自ら取り組みはじめたロービジョンケアの最初の地が九州であり、その時代の懐かしい仲間たちが多く発表していたこと、平成元年の12月にはじめた「ロービジョン研究会、アナミ」の20年以上の活動が続いていることに、感慨を覚えた。
福岡大学の公衆衛生学でお世話になっている先生も触知覚についての取り組みを発表しておられ、知的な刺激を存分に受けた。
市民公開講座の講師で来られた鎌田實氏(医者で作家)とも控室で個人的に20分あまり色々と話ができ、さらに思い出が深くなった。
一方で、この5年近く、自らが招いた未熟さによって、組織的には十分にロービジョンケアができない環境にいたため本当にこのままでいいのかと問わずにはいられない思いもあった。とは言え、折に触れて、ロービジョンケアの場面を与えられていたことに、ありがたさも感じてはいたけれども。
いま、僕自身の中でトピックになっていることがある。「視野」だ。何回か書いてきたことだが、視野は限りなく奥が深い。かっては、中心視野こそがすべてに近かったのだけれど、ここ数年は、周辺視野がどれほど全体視を支えているのかを感じる日々でもある。
効率性や有効性の議論の中で、視力的な力が中心視野の方が圧倒的に良いために、軽視される傾向があるのだが、世界全体をざくっととらえるためにはなくてはならないものでもある。ただ、それを日常生活の中で活かすには、ぼくの未熟な専門性では、十分に人に伝えきれないもどかしさもあった。今でもそうではあるが・・・。
いま、改めて、専門性を高めるため、理屈も含めて学びなおしている。今回の学会のテーマに沿っているようでうれしかったのだが。テーマは「今、生きる。今、学ぶ。」だ。


カテゴリー: 総合
投稿者: SuperVisor
センターの敷地内に紫陽花の花が咲いている。酸性なのかアルカリ性の土壌なのか曖昧さを感じるのだが、同じ紫陽花の、青や薄い紫、赤みを帯びた青など、一輪一輪の色合いが異なっている。もちろん、最初のうちは、薄い黄緑色の感じから、徐々に色づき始めるのだが、風合いが微妙に違う。
毎日、昼休憩時に、近くの弁当屋に日替わりの弁当を買いに行く。その生き帰りに足を止めて観察している。今日も同じように見ていると、Iさんが「虫がいるんですか」と尋ねてきた。「いやいや、この色の風合いが面白いから、毎日見ている」とを話したら「桜の花も、白っぽかったりピンクの濃いめのものがありますよね」との応えであった。
実際、よくよく植物を観察していると、光の当たり具合で同じ葉であっても、緑の色合いも違う。少なくとも20はくだらないだろう。ただし、こちらの側にそれほど豊かな言語的な色を持ち合わせていないから、緑とひとくくりにするのだが。
これからしばらくは、紫陽花の鑑賞が楽しみである。
カテゴリー: 総合
投稿者: SuperVisor
続けざまに、網膜色素変性症の教員の方と会う機会を得ている。一人は、8月に5日間の訓練を実施すべく手続きを始めている。他のセンターでは、なかなかと手続きが面倒であるが、神戸のセンターでは独自の取り組みがある。また、訪問指導などにも取り組んでいる。女房役の主任がアイデアマンであり、障害者自立支援法に精通していることもあり、このようなシステムが成り立っている。
まだ、始動していないが、関西圏のロービジョンケアのネットワークは、関東よりも先んじている気配がある。大きな声をだしていないが、堅実に取り組んでいるようだ。
そんな気配に押されるようにして、「視野」についても、いままでの実践を振り返りつつ、新たな訓練手法を整えている。中心視野と周辺視野の特徴をよりきちんと押さえたうえで、それぞれの生活課題にすんなりと取り組めるような課題も整理している。
また、視覚障害のタイプにより、両眼視の今一歩うまく用いる方法なども、これまで以上に実感できる内容へと変化させるつもりである。
これらの実践については、折に触れて、ブログに書き込んでいこうと考えている。

もう一つ。久しぶりに感覚日記を書き始めた。随分、ご無沙汰していたのだが、毎日書こうと思っている。これも関西の気配があと押ししてくれている。いま住んでいるところは新幹線の高架があるのだが、西明石に停車する場合とそうでない場合の走行音の違いが面白い。朝夕には、瀬戸内海を航行する汽笛が聞こえる。
職場や住居の周りは、緑が豊かなのもまたいい。4月に赴任した際には、染井吉野が満開であった。つつじやサツキの赤や白、薄緑や黄緑、深緑の葉、ここのところの雨でアジサイもゆつくりと薄いピンクや紫、青がグラデーションになって色づきをそえる。
居酒屋や小料理屋のテーブルやイスなんかの座り心地なんかも楽しんでいる。
日々経験していく、気にかけないと消え去っていきそうな実感を記憶に留めておきたいと
願ったかだが、書き始めると、改めて表現するにふさわしい言葉が少ないことに気づく。
生きているということは、気づきの連続だなどと思う。
そう、とても充実した日々なのだ。