帰り際に、訓練中の人たちのモニタリングの書類を部下が持ってきた。ひととおり目を通した。何回か読み返したが、意味がとりにくい。口頭で説明を求めると具体的に答えてくれる。そのまま、文章にすればわかりやすいのに残念だと思った。
例えば、基本的な知識と基礎的な知識。厳密に区別をしているのなら、それはそれで面白い。けれど、今日の場合、同じ意味合いで使っていた。
もう一つ。「車音」と「車道音」を利用してと言う区別しているかのような表現もあった。ちょつと、面白そうなので質問した。この場合使い分けていると思ったからだ。
車音と言った場合、おそらく、道路横断をする場合に自動車の進行音を切り取って自分の横断に役立てるように指導しているイメージだ。
車道音と言うのは、歩道を歩いている際に、自分の進行方向に平行に走る自動車の音を活用して、歩道上をまっすぐにぶれずに歩くというイメージ。その際の、音の活用法をどう指導しているのか。あえて、分けているならそれなりの理由があると思い、聴いてみた。
結局のところ、別段区別しているわけでもなく、あまり意識せず書いていた。
日本語というのは、微妙なニュアンスを表現することが出来るが、文脈においては、ぶれてしまう。そんなことを感じた。
自らの文章も相手によく伝わるようにわかりやすく、明確に表現する必要性を改めて感じた。