出会いは不思議です。50代の中心暗点の男性にお会いしました。左眼の中心暗点の真中2度以内の見える位置を用いて、仕事をしていました。視力的には、0.5程あります。日常生活では、周辺視野を何とか用いようとしていて、食事や歩行などではそこを用いているとのことでした。
 話している中で、偏心視野を用いることが求められているのはわかってはいるけれど、中心で見ることが捨てられないこと、周囲の人たちの助言はよくわかるのだけれど、「頑張る」ということがわからなくなっていること等々話してくれました。
 「残された4年間をどうしたいのですか?」とお尋ねしたところ「このままで定年退職はしたくないこと、今の仕事に対しては不満であること、自信を持てる仕事をした上で、退職したい」ことなど、少しばかり本心を吐露してくれました。
 職場の継続雇用を考えたとき、ご本人自身が「何を本当にしたいのか」が不明確であると、一方的に雇用する側から「この配慮している仕事が出来なければ休職しかないでしょう」と言われてしまう。そして、思考停止状態にあると雇用側に「見えないから仕事が出来ないのではなく、どういう雇用を創出できると考えられていますか?」「現実に原職復帰している、継続雇用されているケースについて調べられて、無理との評価なのですか・・・」などと切り返すだけの力が出てこないのだと思いました。
 偏心視野を活用するには、3点考えられることも話しました。1つは、中心で見ようとしたときに、今、自分は偏心固視を活用しようとしている。中心で見ないようにしようと意識して取り組む。2つには、右眼の偏心固視をつくる。3つには、中心が使える間はたとえ、しんどくとも使い切る。そして、自分自身がその限界を知り得たときに、偏心固視のトレーニングをする。ことなどを話しました。
 同時に、まっすぐの視線を保ちながら周辺視野に様々なポイントの文字を提示しました。ご本人は、ハッとされたようで、まん中でのシャープさはないですが、文字はわかりますとのことでした。
 なかなか、伝えきることは難しいのですが、本人が「自分自身が何をしたいのか」「人生の中で何を果たしたいのか」「夢や希望は何か」を一緒に整理していくことも大切なのだと感じました。
 また、別の19歳と22歳の網膜色素変性症の姉弟の方とも出会いました。19歳の青年は、板前修業をしていたのですが、急激な視力・視野の低下により、あきらめて退社したとのことでした。そこでは、福岡で成功している全盲の板前さんの話をしました。22歳の姉の方は臨床心理士を目指して勉強しているのですが、読み速度の遅さから続けていけるかどうか不安になっておられました。
 この二人の出会いの中から、若くて有為な青年達が、「目が悪いから夢をあきらめなくてはならない」という気分にとらえられることの痛みを感じました。これから先のことは、実際のところ視覚障害があろうとなかろうと誰もわからないのが事実だと思います。
 けれども、専門家をはじめとする関わり合う大人は、無理という烙印を押していないか。視覚障害者はかくあるべき存在と見なしていないかと反省もしました。
 夢や希望を抱いて、多くの人たちは何の保証もないのに努力したりします。追い続けたりもします。ならば、少しの工夫や配慮や道具があれば創出することはできないか。その夢の実現のためにどれだけ汗を流しているかを問われているように感じました。
 そのためにも、関わる側の傾聴の必要、つまりは、本心を聴き、その本心を励ませる力を磨くことの大切さを改めて思ったのでした。