木々の新緑が眼に映える5月。爽やかなうす緑色が太陽の光を受け、透けるように輝くさまに心躍る季節となりました。
 4月から新しい年度が始まり、新たな出会いに胸躍らす人も多いと思います。
 今日、二ヶ月ぶりに、東京LVSTに出かけました。職場では、新型インフルエンザによる待機もあり、遠出が出来ない事もありいい機会となりました。
 今回初めてお会いした女性の、自分自身の視野やその可能性に気づいていくさまを共有することになりましたが、改めて、「気づき」のすばらしさを実感しているところです。
 ごく当たり前の原理や原則について、心が落ち着かないとその「正体」を看破できないこと、如何に、普段から可能性について限定しているかを思うのです。
 一人一人は、「このままでは終わりたくない」と願っているのに、現実の生活の中で「出来ないこと」を嫌と言うほど味わっています。その中で、生理的な現象を、あるがままに見ることがなかなか難しいのが現実です。
 なぜ、ロービジョンの人たちが、そのことに気づきにくいのか?視野や視力の意味を「どれだけ」正確に把握しているのかに尽きるのかも知れません。案外、自分勝手な解釈や経験からイメージしていることが多いのかも知れません。
 つまり、最初の眼科での説明責任が果たされていないこと、日常生活での視野や視力の活用方法について我々は、知らされていないことが原因なのだと思うのです。このことは、実はとても大切なことですが、存外、無視されているような気がしてなりません。
 また、いつ、誰に、どのように、この現実について聴けばよいのかがわからないことも、なかなか真正面からとらえにくいのかも知れません。
 今日の出会いに思いをはせますと、適切なアドバイスを受ける機会がないことに気がつくのです。
 自分なりの工夫やこれが一番いい方法なのだろうと経験等に基づいて取り組んでいるとは思うのですが、
人間の生理的な現象や身体的能力についての正しい知見を基礎にした方法論が、正確に伝わっていないことによる混乱があると思います。
 まずはあるがままの身体的な機能や能力を実感していく取り組みが大切だと思います。
 一人一人のこころの中に、新緑の美しい生命力が溢れることを願ってやみません。