阪神大震災から17年。職場でその話となった。震災後に博多から神戸に支援のために派遣されて出会った人たちのことを、記憶の断片をたどりながら話をした。昨年の3.11の東日本大震災時には関東にいて、その揺れの尋常ならざることに驚いたものの、どれほどの災害かを想定すら出来なかった。テレビの画面から次々に流れてくる映像に息を呑んだ。同時に想像力の貧弱さを嘆いた。
話をしていた人が、東日本大震災での被災視覚障害者支援に赴いた専門家たちが、避難所等を巡り歩いても視覚障害者を見出すことが困難であったこと、トイレや配給の際に大変な思いをしていたことをが把握しにくかったことなどの話題を提供してくれた。その話を聴き頭の中によぎったのは、阪神大震災で得た知見が十分に生かされていないことだった。17年前の震災を忘れたわけではない。けれど、日々の生活の中であのとき感じたリアリィティは薄れていて、断片化されていることに哀しみを感じた。
昨年の11月末に「災害史に学ぶ」という講演を聴く機会があった。若い世代に過去の災害の実像を伝えて、災害から何を学び何を生かすのかを内閣府が「災害教訓の継承に関する専門調査会」を創りその成果を世に問うている。その調査会のメンバーの人から話を聴いた。
その中で、災害史から学ぶことは、①災害の地震学的な周期性だけではない②災害を受けた社会の立ち直り方③災害が地域社会に与える影響④その時代がもたらす影響⑤これからの防災に生かすための智慧を引き出すための努力のありようだと話された。まさに、必要とされていることだ。
もう一度、17年前の想いを蘇らせつつ、今できる小さなことから始められたらと思う。