指の怪我。被害が少なくてほっとしている。万年筆も支障なく使いこなせる。妙な力が入らないから書く字が綺麗だ。ここまで楽天的に考えられることも幸せなことだ。
白杖の基本操作の中で力を入れず振ることは意外と難しい。あの感覚と少し似ている。ただし、文字を書く行為は物心ついて以来あまりに自然なため、何か突発的なことが生じない限り力の入り方が気づけない。今までも、何回か同じような経験をしたはずなのだが意識に残っていない。
生活の中で当たり前の習慣化された行為の一つ一つも、視覚的な模倣を通して自然に行っているが、実は人それぞれ違っているらしい。実際にある一つの行為を手取り足取り教えられたことは少ない。一見、手に取って教えられているように、そして学んでいるように見えるけれど、微妙な感覚を伝えられているわけではない。
まして、身体の筋運動感覚について言うならば、そのものの動きをじっくりと伝達された経験はない。ずいぶん前のことになるが、筆跡鑑定のことを調べたことがある。書かれた文字が、誰のものであるのかを特定することがなぜ可能なのか。それは一人ひとりの書きぶりが違うからだ。ではなぜ、違ってくるのか。筆記具を持つ持ち方、腕、肘等の関節の動かし方やそれに伴う筋肉の動きが違うからだ。文字を書くために使われる筋肉や関節の数は何十種にものぼりかつ誰一人同じように使うことがないとの研究成果を知った時驚きを禁じえなかった。
転じて、感覚や筋運動感覚にともなう動きを正確に伝えるのは難しいだろうけれど、具体的にイメージ化し、どうすれば伝えられるかの方策は必ずあるはずだ。そんなことを思いながら、今日も一日が暮れていく。