夕食の準備をしていて、スライサーで人参を調子よくスライスしていたら、右手の親指の肉の一部をそいでしまった。大失態である。薬箱にバンドエイドがない。あわててあちこち探すけれど、肝心な時に見つけられない。整理の悪さを嘆きつつ、血がポタポタ落ちるのを尻目になおも探す。もう一度丁寧に薬箱を探すと1枚出てきた。急いで巻いたけれど、見る見るうちに真赤に染まり、取れそうだ。仕方がないのでテッシュを外側に巻き押さえた。止血するまでの間は5分弱。改めて、要領の悪さに心の中で苦笑した。
その5分間の中で心に占めていた想いがある。いま、書くことが楽しい。年末から毎日、浮かんでくるアイデア、日々改善したい事項、感覚の面白さ、体験したこと、気づきや発見、失敗したことなど色々なことを書いている。書いていると頭の中が整理できる。そういう背景があってだと思うのだが「今晩、書きつける日記の支障になったら嫌だなあ」と思ったのだ。
こんな感覚いままでにないので面白い。こだわっていないのに書くことに執着している。考えてみると、年末年始も関係なく毎日、数時間没頭しあれこれ書きつけているのだから、不思議な感覚である。
さてさて、今パソコンに書きつけている。勝手は違うものの、シフトキーを押すのを左の親指で代用するだけで普通に使える。指が触れないから血も出ない。
けれど、紙に書きつけるときの筆圧の感じやサラサラと音をたてながら紙の上を滑っていく万年筆の、更にはインクのにおいも感じながら溢れ出てくる文字を書くにも、万年筆の軸を親指で支えると血がにじむ可能性がある。さすれば親指をそっと軸に沿えて無駄な力が入らないとすると痛みもなく書けるだろうし、更に文字も美しく書けるのではないか。別の期待がムクムク湧いてきている。このあと試してみないと損するような気持。痛みや不自由さも、やりようによって転換できるのではと思うとあれこれ試してみたくなるのだ。