京都市交響楽団のニューイヤーコンサート2012に出かけた。子どもたちの母校である京都府立大学と京都府立植物園周辺のモダンな建物、それが京都コンサートホールでこのコンサートホールの大ホールに入るのは初めての体験。座席は右袖側2階の中央付近で舞台を斜めに見られる。
演目は新年に相応しいワルツや華やかな曲が多かった。圧巻はソプラノ歌手の幸田浩子で、グノーの「わたしは夢に生きたい」オッフェンバックの「森の小鳥はあこがれを歌う」、誰の作品か失念したがアンコールで歌った「アベマリア」の声に魂が揺さぶられるような感動をした。声楽の美しさは、楽器に勝るものだとつくづく感じた。
最後の演目は、ラヴェルのボレロ。新年のかつ震災後の日本復興に向けての機運にマッチした選曲だと思った。ボレロの主旋律にドンドンと楽器が加わっていく様はまさに協働のイメージそのもののよう。今までボレロを聞いていても感動しなかった。今回、小さな音からドンドン音が増え、その音の膨らみを心地よく感じられた。聴く側の心構えによっても違ってくることも改めて感じた。
さて、視覚障害児・者の聴覚訓練も同じように考えてよい。まず、最初の主旋律を奏でる楽器、その後にまた別の楽器が加わり、更にまたひとつ、またひとつと増えていく。メロディは同じであっても、個々の楽器の音はきちんととらえられている。ふと、40数年前の小学校時代に音楽鑑賞教室に京都会館に行ったことを思いだした。小学校時代に、音楽鑑賞教室で様々な楽器の音を色々な作品の数小節を奏でて聞かしてもらったこと、それが今回聞きに来ている京都市交響楽団であることに気づいた。不思議な縁だ。と言うのも、長じて視覚障害福祉に携わる中で音の重層化などをとても大切に考えているこの自分の中の潜在意識の深いところに、小学校時代の体験があるとは思ってもみなかったことだから。ボレロは、そんな体験を心の中に呼び起こしてくれた。
と同時にボレロのような組み立てで、印象深く、心地よい感覚訓練も新たに模索したいと思った。