夕暮れ時に、仕事の打合わせが終わり、外に出た。敷地内の東屋からふと空を見上げると満月がポッカリと浮かんでいる。広葉樹と東屋、月の位置関係が良く、携帯のデジタルカメラやモバイルカメラを色々と選択して写してみた。これが、思いの外難しかった。
「機械の眼」と「人間の眼」ということを考えることがある。
よく、カメラに例えて人の眼を表現することがあるが、構造としての機能は似ている。しかし、違うのはその情報をあるがままに映し出すのが機械なら、人間の眼はデフォルメして認識する。実際の見え方とそれを処理する系がなす技だと思う。中天に浮かぶ月は小さく、山ぎわや建物に近い月は大きく感じる。
実際のところ、脳が認識しているわけだが、その脳の情報処理の「あるがままに」とらえることの難しさがあるような気がする。錯視図形等を見ると、実際ものの大きさが同じであったとしても、描き方ひとつで違って見える。エッシャーの絵図などでは、本来つながっているはずのない空間がつながっており、あり得ない空間が描かれたりする。
とにもかくにも、視覚の不思議さを感じる一時であった