昨夜NHKテレビで「復活した脳の力」を見た。脳科学者が脳卒中から復帰する様をドキュメンタリーで描いたもので、脳卒中の進行や回復の過程において、自分自身を相対化し、意識化してとらえている様にプロフェショナルさを感じた。と同時に、意識化すること、自らを相対化することの難しさも改めて感じた。
 視野の意識化という言葉を使い始めてもう10年以上の歳月が経つ。絶対暗点としての中心暗点がある場合と比較暗点の場合では、視野の意識化にも階層(レベル差)があり、気づき方も違っている。必ずしも自分にとって使いやすくて感度のいい部分を使っているとは限らないからだ。求心性視野狭窄があって、耳側に視野がかなり残っていても、中心に焦点していると周辺視野を十分に活用することができない。
 テレビを見ながら、具体的に「自分の状態をわかりやすく説明する」ことの意味を考えもした。
 さて、テレビの中で本人自身が、脳卒中が生じてから意識不明になる過程を、時間軸の中で語っているのを聴きながら、一人の体験が全体の体験へと昇華することを実感した。少なくとも、発症したらどのような状態が次々と起こってくるのかが、イメージできるからである。
 更に、8年というリハビリテーション期間を経て現在に至るまでの時間の中で、身体機能の回復されていく順が明確にわかり、努力し続けることの意味を見いだせることのすばらしさを感じた。
 回復や機能の維持といったことでは、個体差や障害の程度により差が生じることは否めないが、あきらめないで取り組むことで「開けゆく道がある」に違いない。
 セルフトレーニングは地道な取り組みである。毎日、毎日、同じような繰り返しの中に、意味を見いだすことはとても難しいのかも知れない。現代社会は、効率性をまず第一義とするため、すぐに効果が現れないと意味のないものとして扱うからだ。
 実らないように思う努力の積み重ねの中にも、実は大切なものが隠れていることをテレビの中の脳科学者の人生が教えてくれてたように思っている。