朝のひと時 (2010/08/10)
カテゴリー: 総合
投稿者: SuperVisor
久しぶりに心地よい小鳥の鳴き声に包まれて目が覚めた。ここ数日、夏の暑さが和らぎ、一息ついた感がある。自然な鳥の声が、早朝の涼しさを増してくれる。最近のことだが、BBCのradio4でイギリスの沿岸沿いの鳥の鳴き声を紹介する番組があった。声の質がやや金属的で好みではないけれど、録音技術の高さやその鳥の習性がイメージできるのは、感動的であった。いまはあるかどうか知らないが、NHKでも鳥の鳴き声を聴かす番組があった。
ノーベル賞作家の大江健三郎氏の息子の光さんが、生まれたときに脳に障害があって、長く語れない時代があったようだが、NHKの鳥の番組を心に銘記していたのだろう、あるとき、背負った背中から「くいな」ですと言ったことを作品としてまとめられていた。
いま、高次機能障害の方と接する場面が日常的にあるのだが、この話をよく思い出す。言葉として表出しないとしても、心というか感情レベルでは様々に感じていて、その表出の枠組みが違うだけではないかと。
見え方についても同じだと感じている。問題のない眼であっても、ある眼でも、そのもの自体を認識しようとするかしないかで、知覚され認識される内容の深さは当然異なってくる。
別の言葉で言えば、好奇心があるかないかで自らに取り込む力は異なってくる。興味があって、知りたいと思えば必死で眼を活用もする。しかし、ただ漠然と見ていては、網膜に投影されていても情報としては処理されない。日常的に見ているつもりだが、見ていないことが多いように思うのは私だけだろうか。
今日目覚めたとき、鳥の声が心地よかったのは、雑念が少なかったから。じっと耳を澄まして、今日の音はどんな風に聞こえるだろうと意識が覚醒してくる中で少し気を向けた結果だ。ここのところ、朝の目覚めはそんなによくなく、時間を気にしていた。と同時にあれこれ段取りなんかを思いめぐらし、自然の音を聴く余裕がなかった。そんな風に思う。
明日もまた、目覚めていく過程を楽しんでみようと考えている。
ノーベル賞作家の大江健三郎氏の息子の光さんが、生まれたときに脳に障害があって、長く語れない時代があったようだが、NHKの鳥の番組を心に銘記していたのだろう、あるとき、背負った背中から「くいな」ですと言ったことを作品としてまとめられていた。
いま、高次機能障害の方と接する場面が日常的にあるのだが、この話をよく思い出す。言葉として表出しないとしても、心というか感情レベルでは様々に感じていて、その表出の枠組みが違うだけではないかと。
見え方についても同じだと感じている。問題のない眼であっても、ある眼でも、そのもの自体を認識しようとするかしないかで、知覚され認識される内容の深さは当然異なってくる。
別の言葉で言えば、好奇心があるかないかで自らに取り込む力は異なってくる。興味があって、知りたいと思えば必死で眼を活用もする。しかし、ただ漠然と見ていては、網膜に投影されていても情報としては処理されない。日常的に見ているつもりだが、見ていないことが多いように思うのは私だけだろうか。
今日目覚めたとき、鳥の声が心地よかったのは、雑念が少なかったから。じっと耳を澄まして、今日の音はどんな風に聞こえるだろうと意識が覚醒してくる中で少し気を向けた結果だ。ここのところ、朝の目覚めはそんなによくなく、時間を気にしていた。と同時にあれこれ段取りなんかを思いめぐらし、自然の音を聴く余裕がなかった。そんな風に思う。
明日もまた、目覚めていく過程を楽しんでみようと考えている。
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