秋の夕暮れ。天が茜色から真紅そして薄い藍色から深い藍色に染まっていく。その短い時間の移ろいゆく姿を眺めるのが好きだ。毎日毎日見慣れているといってしまえばそれまでだが、いつも飽きずに見つめている。日常生活の何気ない一齣一こまの実に同じものがないことに驚きを隠せないでいる。
今日は、頭痛のせいか、職場の普段見慣れているカレンダーの数字の輪郭が明瞭でなかった。こめかみのあたりから右の頭頂葉にかけて鈍い痛みがあった。肩も少し凝っている。ここ数日の快晴ではあるが、ひんやりとした空気が、身体を硬くしているせいでもある。
そう言えば、拡大読書器の本を監修することになった。症状にあわせた用い方についてのコツをまとめているのだが、多くを語ろうとすると、焦点を絞りきれずに書き直したりする。病気から来る症状はある程度定型化しているけれど、ものを見るうえで大切なのはあくまでも「視野」だと思う。中心に暗点がある場合は、その暗点の大きさにもよるが、画面にできるだけ近づいて、暗点を小さくすること、眩しさで眼がショボショボするのを防ぐため、遮光眼鏡などをうまくかけることに尽きる。暗点が大きい場合は、身体の正面に画面はおかず、右か左、状況によっては上か下にずらして眼を画面の一部に固定することが大切になる。もちろん有効視野をそこにはめるようにするのだ。
求心性狭窄の場合は、できるだけ画面から離れることが大切になるのだが、手で操作できる範囲の中で、一番扱いやすいポイントを押さえることと視野にできるだけ沢山の文字数を入れることがコツとなる。こういったことをまとめてはするものの、今まで出会ってきた様々な人たちが脳裏を横切り、どういった表現がわかりやすいかなどと考えると、あれもこれも表現したくなる。どれだけ、そぎ落としポイントを明確にするかが勝負であり、何回も推敲している最中である。
夕焼け空をみながら、そんなことを考えていた。