近況 (2009/11/26)
カテゴリー: 総合
投稿者: SuperVisor
ここ数日、澄み切った透明な空気、天が抜けるほどの青、イチョウの黄やハナミズキの赤が映えている。市街地、普段見慣れている風景の中での、紅葉のメリハリがはっきりしてきている。日本人の感性の底流には、「散りゆくものに美」を見いだしているのかも知れない。春は桜花、秋はもみじ。はかなく移ろいゆくものの中に、人生を重ね合わせているようにも思う。
今日、本の出版のことで人が訪ねてきた。かっては、拡大志向のもと色々とチャンスがあればそれをトコトン求め、手応え感に酔っていた自分があった。最近は、自分の夢を実現できればいいなぁといった具合に淡泊になってきた。むしろ、いまいる環境の中で、何を創造し続けたいのかを自らに問うことが多い。本自体を書くことよりも、本当に伝えなければならないことはなんだろうと考えてしまった。
ただ、経験知やテクニックを伝えたいわけではない。老若男女、様々に職業や受けてきた教育、経済環境、風土など異なる環境にあって、「時代の感覚」とも言うべき共通する問題と個別指向性の問題とを分けて、具体的に書き分けられるといいのではないかと話をする中で考えもした。
実際、様々な実験を通して工夫してきた臨床自体から創造していく一つ一つのささやかなものであっても、それが思いがけない「きっかけ」となり、好転する様を沢山見てきた。一度「あきらめ」てしまうとなかなか「こころが立つ」ことは大変なのだが、その人の中にある「あきらめきれない願い」のようなものに触れうると転換が起こる。そこには、ある意味での厳しさも伴う。言葉にすると「苦しいけれど楽しい」「つらいけど面白い」といった感じである。つまり、セルフトレーニングが大前提であるわけだ。
随分前にも書いた気がするが、「唯心所現」という言葉がある。その人が、思った通りの現実が現れ出でるというような意味だが、現実を転換する上で、どう腹をくくるかは重要に思う。個人的な体験では、腹をくくった時と腹をくくらないときでは全く現れてくる世界は違う。最近の動向を見ても手に取るように自ら感じている。いまはまだ、すっきりと腹がくくれていないのが現実である。
さて、くだんの本の企画についてである。自らの歩をもう一度総括する上で書くこととした。どういうものが現れ出でるかはわからない。けれども、沢山の人たちに同伴し、対話する機会を与え続けられたものとしての責任を果たしたいと思った。行間にその一人ひとりが現れてほしいと願っている。とは言え文章も下手、回りくどい言い方をする自分にできるのだろうかと頭を悩ましているところである。
今日、本の出版のことで人が訪ねてきた。かっては、拡大志向のもと色々とチャンスがあればそれをトコトン求め、手応え感に酔っていた自分があった。最近は、自分の夢を実現できればいいなぁといった具合に淡泊になってきた。むしろ、いまいる環境の中で、何を創造し続けたいのかを自らに問うことが多い。本自体を書くことよりも、本当に伝えなければならないことはなんだろうと考えてしまった。
ただ、経験知やテクニックを伝えたいわけではない。老若男女、様々に職業や受けてきた教育、経済環境、風土など異なる環境にあって、「時代の感覚」とも言うべき共通する問題と個別指向性の問題とを分けて、具体的に書き分けられるといいのではないかと話をする中で考えもした。
実際、様々な実験を通して工夫してきた臨床自体から創造していく一つ一つのささやかなものであっても、それが思いがけない「きっかけ」となり、好転する様を沢山見てきた。一度「あきらめ」てしまうとなかなか「こころが立つ」ことは大変なのだが、その人の中にある「あきらめきれない願い」のようなものに触れうると転換が起こる。そこには、ある意味での厳しさも伴う。言葉にすると「苦しいけれど楽しい」「つらいけど面白い」といった感じである。つまり、セルフトレーニングが大前提であるわけだ。
随分前にも書いた気がするが、「唯心所現」という言葉がある。その人が、思った通りの現実が現れ出でるというような意味だが、現実を転換する上で、どう腹をくくるかは重要に思う。個人的な体験では、腹をくくった時と腹をくくらないときでは全く現れてくる世界は違う。最近の動向を見ても手に取るように自ら感じている。いまはまだ、すっきりと腹がくくれていないのが現実である。
さて、くだんの本の企画についてである。自らの歩をもう一度総括する上で書くこととした。どういうものが現れ出でるかはわからない。けれども、沢山の人たちに同伴し、対話する機会を与え続けられたものとしての責任を果たしたいと思った。行間にその一人ひとりが現れてほしいと願っている。とは言え文章も下手、回りくどい言い方をする自分にできるのだろうかと頭を悩ましているところである。