傘が届いた。黒の折りたたみ傘だ。送付先を見るまで、誰から来たのかわからなかった。いま、大学2年生の、英文科に通うお嬢さんからだ。出会ったのは彼女が小学校1年生の頃。小学校、中学校、高等学校とそれぞれの時代に一緒に色々考えたことが、頭の中を巡った。3人の子ども達がみな網膜色素変性症と診断されたときの母親の顔を今でもありありと覚えている。眩しさを取るには、遮光眼鏡のオレンジ色が最適だったが、そのことでいじめられたこともあった。単眼鏡を導入したときにも、一波乱あった。その時々に周りを協力者としてきた日々を思い出した。
 早速、お礼の電話をかけた。4月から半年間、イギリスに留学してきたこと、ロンドンの街並の話を堰をきるように話してくれた。日本だと講義中にデジカメで板書を写すのは嫌がられるが、そうでなかったこと。自然な配慮がうれしかったこと。障害を意識せずに取り組めたことなど当たり前のように話してくれた。彼女の夢は、英語の教師になること。そのための努力を惜しまない。頑張っているという悲壮感からはほど遠く、むしろ、あきらめずに、楽しみながら歩んでいるという爽快さがある。
 いまは退官した国立大学のM教授のことを思い出した。そして、夢を追い続け、現実に道を切り開いた人がいることを話した。「見えなくなる不安がある?」と聞いたが、「不安はある」とのことだった。漠然とした、正体がはっきりとしない不安は、ジワジワと心を蝕むように思う。けれど、「いま、ここの自分は見えている。」そのことを大切にしてほしいと願わずにはいられなかった。
 今日もいい一日になったことを感謝した。