雲上にぽっかりと浮かぶ月を久しぶりに見た。透明な光にしばし魅了され、小さな窓から眺めていた。アンデルセンや宮沢賢治の童話の「月」にまつわる作品を思い浮かべていた。札幌に手織りをする人に会いにでかけた。この人も「月」が好きである。その人の限られた視覚の中で紡ぎ出される作品の数々に、保有感覚を上手く活用することの確かさを感じた。
 視覚と言っても、我々の識っているのはほんの一握りのものらしい。らしいというのは、色々言われはするが実証されていないからだ。視覚的な美しさもさることながら、くだんの人が織る作品は、手触り感(肌触りと言った方がいいかも知れない)がほどよく、また、グラデーションのおりなす雰囲気も気に入っている。
 その人の長年の友人にも出会った。70代半ばの男性だ。やはり、視覚障害がある。この人は、本人も気がついていなかったが有効視野があり、話の中で色々と実験してみたところ、使えそうなことに気がつかれた。部屋の片隅で、埃まみれになった拡大読書器をもう一度使ってみようと話された。
 幾つになっても、やはり、あきらめきれない思いがあることに改めて気がつかされた。