今日の読売新聞の社会面に「ハイブリット車接近中?」の見出しで、メロディ音とか疑似エンジン音をつける方向で国土交通省の対策検討委員会が視覚障害者の体験会を開いたとの記事。NHKで昨晩、同じ内容で金沢真理さんと中野泰志さんがインタビューされていた。年末までに一定の基準を示すとのことだが、交通環境全体の中での検討を期待したい。
 エンジン音の工夫をしても、まず交差点の双方向の車を優先させて、歩行者をスクランブル交差点のように渡すような現状から考えると、渡りたい方向の音源定位が出来ないことの方がよほど危険極まりないと考える。
 あるいは歩道上を歩いていて、ドライブウエイの方に引っ張られて車道にフラフラとでてしまったときに、ハイブリッド車や電気自動車が来ていたとしたらどうするのか?
 北国の積雪が多い地域では、ただでさえ音が雪に吸収されることを考えたときに、冬道の安全対策をどうするのか?
 GPSを音声で確認しながら歩いている視覚障害者が、ふとした音を聴き逃したときの安全は?等と考えるのは杞憂と言うべきなのか?
 かって、横断歩道のゼブララインは階段状になっていた。今のヨーロピアンタイプに変えるときに、進行方向の直線がなくなると困らないかと問いかけたことがある。ロービジョン児・者の多くはさほど困らないんじゃないの程度の反応だったが、実際に施行された途端に、何とかならないのかと言われた。
 設計者たちは、囲われた枠の中に水がたまり危険だからとの説明で、無くすことでスリップ事故が減るからとの理由だった。しかし、なんら変わっていないように思うのは、ぼくだけだろうか?
 サウンドスケープ(音の風景)という手法がある。日常的な音風景として、意識したらそこに音があるのが理想なのだろう。日常生活で、様々な家具に囲まれて生活するぼくたちが、必要なときにそれらを意識するように配置されたらどうなるのだろうか?
 スエーデンやデンマーク等で音響信号を聴いたことがある。無機的な音であったが、24時間鳴り続けていた。いま、日本では20時から7時くらいまで音響信号がならない。特に住宅街では顕著である。このこと一つとっても、本当に必要な音環境をどう創るのかが問われている。
 バリアフリーとかユニバーサルデザインと言われて久しい。ならば、もっともっときちんと議論を尽くした上で、大局的に取り組む必要があるのだと、記事を読みながら思った。