冬の嵐山を妻と散策した。10月から週末に自宅に戻れた際に定点観測と称して、自宅から渡月橋、そして嵐山公園に向かって歩く。嵐山に着くと、すっくと立った赤松を基準木としてその周辺の広葉樹と次第に色づく山肌を30分から小1時間くらい眺める。川面に映る山肌の映りこみや行き来するボートなどを眺める。同じ場所で観察すると葉が黄から赤へ移相するのも気温差が影響していることも、陽のあたりかたにより色づくスピードの違いが生じることも実感出来る。川底を泳ぐ川魚や水鳥の、普段見落としがちな風景が「図」として浮かび上がってくる。ある種の注意の向け方が大切であると思った。目は心の眼であると言われるゆえんだ。
嵐山の、その冬支度の整った景色、木々の葉が落ちくっきりした枝ぶりが天を突く姿と冬の日溜まりの川面の美しさを感じ、保津峡と呼ばれる場所を遡りたくなった。嵐山から保津峡、亀岡に至る山肌とその間を流れる保津川の景色を楽しむのは、鉄道を使うのが手頃であると思い、今は観光用として使われている旧JRの単線を走るトロッコ列車利用して往復することにした。
この単線をたどるのは、30年ぶりだなあという感慨からか、子どもの頃野々宮神社の踏切から入って線路伝いに保津峡の駅までよく歩いたこと、途中トンネルの中で列車が来て待避用の凹みに張り付いた時の風圧に驚いたこと、鉄橋を渡るときに枕木と枕木の間の空間から眼下に流れる川を見て足がすくんだこと等を同行した妻に話した。
夜、単身赴任先に戻るため、少し寄り道をして嵐山の花灯籠にも出かけた。渡月橋がライトアップされ、中之島公園に灯籠が灯っている様も幻想的だった。
普段、何気なく風景やものを見ていて多くの情報量をとっているつもりでいるが、取れている情報は心の向きによる。昼間の嵐山の風景も、保津峡の列車の往復も、花灯籠のライトアップでも、すべてを見ているわけでなく、自分の興味・関心の向きに従って選択的な情報収集と情報カットを自然に行っているのである。だからこそ、時間のあるときに定点観測の体験をし、様々なものごとに関心を拡大してみることが必要だと感じたのである。