音、音、音 (2011/12/16)
カテゴリー: 総合
投稿者: SuperVisor
12月10日に今年最後のセルフトレーニングの会に参加した。1000年に一度と言われる未曾有の大震災により、首都圏の計画的な節電が行われたことは周知の通りである。そんな中、移動の際のライン取りや手がかりとして確認していた照明等が使えなくなったこと、音の手がかりが減った話を聞き及んだ。
落ちつき始めてきた今、この種の話を沢山の視覚障害の人たちから聞くことになると感じている。震災前に日常的な手がかりとして活用していたサインが使えなくなった例として、エスカレーターの音や自動券売機の音の消失、駅通路等の照明の間引き等々があったことを取り上げていた。自分なりの工夫を凝らしてしのいだ方法が、再び環境が元に戻ったことで逆に手間取ったことなどもあったとのこと。そこで思ったのだが、社会的弱者といわれる人たちのことを最初から想定して対応していれば、いらぬ努力をさせずにすんだのではないかと。けれど、どういうわけか大きな問題になってから、あたかもそんな問題があったかのような対応が多すぎる。いや、ある程度知りながら、問題に発展するまで放置しているのではと疑いたくなる事例が増えている。
いま、個人的に、特に視覚障害者の安全な移動、歩行を妨げる現象がかなりの勢いで進んでいることに危機感を抱いている。例えばハイブリッド車や電気自動車問題。音がなくなっていくことは、騒音やサウンドスケープ的に良いとされたようだが、結局、視覚障害者が移動場面での音源定位、特に横断時の大切な音源であることが納得されて初めて、音をある程度つけることになった。
エスコートゾーンという、横断歩道のゼブララインに縦の低い点字ブロックまがいのものが敷設されている。これも本当に何の前触れもなく敷設されているが視覚障害者に周知されていない。むしろ、9割以上のロービジョンにとって、横断の際の手がかりとして階段状のゼブララインが敷設されていたその縦のラインをサインとする方が安全かも知れない。今の横断歩道の横バー状にしたのは、車がスリップしやすいから取り除いたのではないのか。それなのに、新たに何の理由付けもなく平気で敷設する。
更に、歩車分離方式の信号機の急激な展開。車に優しい社会をつくってどうするのだろう。視覚障害者は音を手がかりにしている。交通弱者にやさしいまちづくりをしてきたのではないのか。しかし、全国各地の横断歩道がスクランブル交差点状態になっていて、困るのは音響信号機の音源はそのままという展開。混乱するのだ。
舗道上では、スマートホンを片手に歩く人たちは画面に夢中か、一人コンサートに夢中で杖をついている人たちにガンガンあたってくる。当の携帯会社は「歩行時の使用は止めるように」などと注意喚起しているとうそぶいている一方で、視覚障害者のための「ふれあいコール」等のサービスをしている。移動の安全のために企業としての社会責任について考える方がもっと大切だと思うのだが。また、キャリーバックを引く人たち。騒音を立てつつ、後の確認もせず我が物顔に闊歩する。音が取りにくいではないか。
まだまだ、例をあげればきりがないのだが、誰が悪いという話ではない。犯人なんかいないからだ。ただ、新しい物を導入しようと考える企業や研究者、専門家のモラルというか、相手を思いやる気持ち、新しい物を導入したときに考えられる可能性と問題点をしっかり見極めてコンセンサスを得、進めていく話だと思う。全体を見据えた上で、一つ一つの改善をめざすべきではないか、そんなことを訓練会後ずっと考えている。
落ちつき始めてきた今、この種の話を沢山の視覚障害の人たちから聞くことになると感じている。震災前に日常的な手がかりとして活用していたサインが使えなくなった例として、エスカレーターの音や自動券売機の音の消失、駅通路等の照明の間引き等々があったことを取り上げていた。自分なりの工夫を凝らしてしのいだ方法が、再び環境が元に戻ったことで逆に手間取ったことなどもあったとのこと。そこで思ったのだが、社会的弱者といわれる人たちのことを最初から想定して対応していれば、いらぬ努力をさせずにすんだのではないかと。けれど、どういうわけか大きな問題になってから、あたかもそんな問題があったかのような対応が多すぎる。いや、ある程度知りながら、問題に発展するまで放置しているのではと疑いたくなる事例が増えている。
いま、個人的に、特に視覚障害者の安全な移動、歩行を妨げる現象がかなりの勢いで進んでいることに危機感を抱いている。例えばハイブリッド車や電気自動車問題。音がなくなっていくことは、騒音やサウンドスケープ的に良いとされたようだが、結局、視覚障害者が移動場面での音源定位、特に横断時の大切な音源であることが納得されて初めて、音をある程度つけることになった。
エスコートゾーンという、横断歩道のゼブララインに縦の低い点字ブロックまがいのものが敷設されている。これも本当に何の前触れもなく敷設されているが視覚障害者に周知されていない。むしろ、9割以上のロービジョンにとって、横断の際の手がかりとして階段状のゼブララインが敷設されていたその縦のラインをサインとする方が安全かも知れない。今の横断歩道の横バー状にしたのは、車がスリップしやすいから取り除いたのではないのか。それなのに、新たに何の理由付けもなく平気で敷設する。
更に、歩車分離方式の信号機の急激な展開。車に優しい社会をつくってどうするのだろう。視覚障害者は音を手がかりにしている。交通弱者にやさしいまちづくりをしてきたのではないのか。しかし、全国各地の横断歩道がスクランブル交差点状態になっていて、困るのは音響信号機の音源はそのままという展開。混乱するのだ。
舗道上では、スマートホンを片手に歩く人たちは画面に夢中か、一人コンサートに夢中で杖をついている人たちにガンガンあたってくる。当の携帯会社は「歩行時の使用は止めるように」などと注意喚起しているとうそぶいている一方で、視覚障害者のための「ふれあいコール」等のサービスをしている。移動の安全のために企業としての社会責任について考える方がもっと大切だと思うのだが。また、キャリーバックを引く人たち。騒音を立てつつ、後の確認もせず我が物顔に闊歩する。音が取りにくいではないか。
まだまだ、例をあげればきりがないのだが、誰が悪いという話ではない。犯人なんかいないからだ。ただ、新しい物を導入しようと考える企業や研究者、専門家のモラルというか、相手を思いやる気持ち、新しい物を導入したときに考えられる可能性と問題点をしっかり見極めてコンセンサスを得、進めていく話だと思う。全体を見据えた上で、一つ一つの改善をめざすべきではないか、そんなことを訓練会後ずっと考えている。