ある人から「誘導視野」について質問があった。もう一度、ブログの内容を確認した。言葉足らずであったこと、きちんと説明し切れていないことを反省し、中心視野を識別視野、有効視野に分け、周辺視野を誘導視野、補助視野に分けて説明したほうが良かったと思った。
ブログには、「実感的に言うならば、中心視野とか誘導視野とか周辺視野の区別は視力に依拠したものである。中心視野に意識が向いていると周辺視野領域の発動が押さえられる。つまり、意識が向くとき焦点化されると同時により細かな情報を抽出することが出来る。人間が動物であるという視点からとらえると、周辺視野で全体をザックリととらえている。つまり、周辺視野と呼んでいた領域が全体視を保障していることになる。このことに気づいていなかった。」と書いた。
そこで改めて説明をしたい。この場合半径で言っているので誤解のないようにしてほしいのだが、視野を4つに分ける。まず中心3°までを識別視野、3°から20°までを有効視野、20°から50°あたりを誘導視野、その外側を補助視野とする。厳密にこの区分に意味があるのかと言われると、少々心もとない。ひらたく言うと中心20°までを中心視野、20°以上を周辺視野と考えてもらえばいい。
そこで、WHOのロービジョンの視野についての定義から考えてみよう。定義では、視力と視野に分けている。視力は0.3~0.05の範囲で0.05以下は法的盲としている。視野はまず半径20°以内の求心性視野狭窄(周辺視野が欠け中心視野がある状態)か、中心から直径20°以上の中心暗点(中心視野が欠けて周辺視野がある状態)を想定している。ただロービジョンの人たちが実際に困り始めるのは、求心性狭窄の場合半径10°前後、中心暗点の場合、直径10°を超えたあたりからであるが、視野の欠損は様々であるし、視力とも関係があるので一概に言い切れないことに注意したい。
実際の現場で感じてきたことは、われわれが視野の原理について正確に教えられてこなかったし、周辺視野の見え方を具体的に知らないことにより、視野を意識化することが困難なことにある。つまり、見え方は様々な環境により変化する上、見えることがあまりに自然で無意識に感じているために、一端見えにくくなってもその不自由さを説明できない。言い換えると、症状については訴えられるのだが、不自由さの具体的な状況を訴えられない。更に、見えているイメージや不自由さを上手く表現できない。脳がFilling inすることに誰もが無自覚であるからだ。専門家と言われている人たちも、症状からくる不自由さを想定することがある程度出来たとしても、具体的な日常生活レベルに落とし込むことを難しく感じるため、症状に焦点してしまいがちである。
そこで、まず取り組みたいのが、どの距離、位置、面積が見える、見えないかを意識化することにある。視野についての理解が深まれば、目線をどの位置に向けると見やすくなるかがわかり必ず再現性が出てくる。その時に自ら仮説を立て、様々な日常生活レベルに落とし込んでみる。その際に基準点を60cm前後の手の届く範囲までの作業(近見)と60cm~2m程度の屋内作業(中間)と3m以上の作業(遠見)といった風に分けて検証してみるのもよい。
症状からの意識化は、例えば求心性狭窄の場合は30cmから60cm、1.5m,3mと視野の面積が大きくなる方向に、中心暗点の場合は、1.5mから60cm、 30cm、15cmと視野の面積が小さくなる方向に丁寧に見え方を押さえていく。その際、単純に風景を見るのはあまりお勧めできない。見えない景色を脳がFilling in(つじつま合わせ)するからだ。意識化するには、カレンダーの数字や文字を見るのがよい。あるべき場所に数字や「はね」がなければ、見えない部分に気づけるからだ。
先に「誘導視野」を質問してきた人は、求心性狭窄で視野が半径1.5°程度。60cmの距離で3cmの15cmの距離だと7.5mmの範囲しか見えない。けれど耳側の誘導視野を活用すれば、6cm×6cm程度の大きさに拡大すれば字も読めるし、路側帯の白線を確認出来ることから歩行上安全にも歩ける。聞き慣れない言葉や専門用語はあまり使わない方がいいように感じた。