今年は色々な不思議に出会いつつ、ロービジョンケアについての思索が深まっている。特に、9月中旬から現在に至るまでの個々の不思議が、将来一つにつながっていくのではないかという期待と一連の流れの中に「、呼びかけられていること」は何だろうかと自問している。
 9月中旬、小倉にロービジョンケアの手伝いに行った。その後、長崎に旅行に出かけた。26聖人殉教の巡礼の道を歩いている最中、一寸した祠を見つけた。それが「生目神社」だった。目の神様で、自分の年齢より一つ多く「目」を絵馬に書き奉納して眼病治癒の願をかけるのだが、本社は宮崎市内とのことであった。目の仕事をしていて初めて、眼病治癒のための神様がいることを知った。
 同じ週の休日に妻を伴って唐招提寺に出かけた。何回も唐招提寺に行ってはいるが、宝物殿に入ったことが一度もなかった。何気なく中に入った。そこに「獅子吼菩薩」という仏様が安置されていた。「三つ目がとおる」という漫画の主人公の眉間に絆創膏で隠されている第三の「目」があったことを記憶しているのだが、この獅子吼菩薩がそうだった。
 なぜ、ここに目があるのか本当のところよく解らない。この第三の目にあたるところを松果体(腺)と言い、目が退化した痕とも言われるが、「方法序説」を書いたデカルトは、松果体を心の座として想定していた。そんなことをふと思い出しながら、眼球運動時に脳のある領域が活動化される事などを思い巡らした。
 10月に滅多に見ない夕刊を斜め読みしていたら滋賀の木之本地蔵院の「身代わり蛙」が取り上げられていた。ここの地蔵様は戦国時代から「目の仏様」とされていたようで、このことも初めて知った。
 10月中旬にシニアの読書を考えたいとのことで、新聞社から取材された。視野を中心にした機器の話をしたが、記事に相応しくないかもと危惧しつつ、京都の熱心な眼科の女医さんを紹介した。その記事が11月上旬に全国版に載った。
 そのことを妻に話した。妻の友人の旦那さんも眼科医で、その女医さんの近所に住んでいること、同じ大学出身で知り合いであることが判明。更に僕の学生時代からよく知っている先輩で、東京で開業している内科医がその二人と同窓で、張り巡らされた「縁」のようなものを感じた。
 11月下旬に半日出かけた仙台のロービジョンケア。患者さんとのライブでの応対にワクワクした。大学病院の外来から5年近く離れており不安でいっぱいだったが、一人一時間の枠の中で対話しながら患者さんが元気になられる姿を見て、改めてもっと取り組みたいと思った。
 そして、12月上旬の札幌へ出かけた。「ロービジョンケア北海道」という会に行ったが、ここは毎月活動していて、今回で21回目とのこと。当事者、専門家が忌憚なく話し合っている場でもある。そこで眼球運動訓練や歩行時における目の使い方などを話し合え、とても刺激的。
 更に「ロービジョンケアの実際」が今年の9月に中国語訳された、出版社から謹呈ということで一冊送られてきた。
 ここ5年の処遇から考えると一つ一つが偶然ではなく必然なのだと感じはじめている。つまり、この今という状況が生み出されるための数年間の苦しみであり、何に、どう応えるのかが問われているように思っている。
この不思議な連鎖を噛みしめつつ新たな一歩を歩む大切な年末の時を過ごそうと考えている。