生活課題 (2011/05/10)
カテゴリー: 総合
投稿者: SuperVisor
生活課題について考えている。生活と言うレベルで考えた時、それぞれの要素を区分けすることに意味がないのかもしれない。もちろん、詳細に分けることで必要とされる問題解決のための方策が明らかになるのだけれど。が、普段の生活実感に根差す感覚は、一つながりの感覚だ。だから、歩行訓練とか、PC訓練とかに分けてしまうと、なぜそれが必要なのか見えなくなってしまうことがある。
長年、専門職として生きてきたためか、柔軟に発想することが難しい。仮に、言葉と表現できたとしても、一つながりのものを自然な形で提示することは困難を極める。たとえば、利用者の求めているものは何か。サービスや訓練と言う形ではない。そのサービスや訓練を受けることによる効用が、満足さという評価として現れる。けれど、実際のところ、関わった人たちがどれだけ満足しているかを判断するのは難しい。なぜなら、とても感覚的なものだから。
効果を現わすうえで大切なのは、具体的な目標を達成しているかどうか。例えば、自宅から駅まで、普通の人なら10分で歩けるとしよう。視覚に障害が生じた場合、その程度によって、安全で、確実に歩くには13分から15分かかるかもしれない。しかし、訓練をすれば、誰もがその時間で歩けるとすれば、目標を達成することになる。その上で、当たり前に歩けることになったことに対して満足できたとしたら、それが効用のあることに違いない。もちろん、それぞれの個性があるわけだから、そのあたりも勘案しなければならない。あるいは、担っている役割や立場によっては内容も変わってくるだろう。主婦ならば、まずは自然に買い物に出かけられることが第一義的に求められるだろうし、会社員なら通勤経路を歩けることが求められる。
様々な局面に対応できる歩行が望まれるにしても、まずは、本人が歩くことの意味付けができることが大切な気もしてならない。
より深く、より的確な生活課題について、考えられるよう、まずは真摯に耳を傾けられるよう努めたい。
長年、専門職として生きてきたためか、柔軟に発想することが難しい。仮に、言葉と表現できたとしても、一つながりのものを自然な形で提示することは困難を極める。たとえば、利用者の求めているものは何か。サービスや訓練と言う形ではない。そのサービスや訓練を受けることによる効用が、満足さという評価として現れる。けれど、実際のところ、関わった人たちがどれだけ満足しているかを判断するのは難しい。なぜなら、とても感覚的なものだから。
効果を現わすうえで大切なのは、具体的な目標を達成しているかどうか。例えば、自宅から駅まで、普通の人なら10分で歩けるとしよう。視覚に障害が生じた場合、その程度によって、安全で、確実に歩くには13分から15分かかるかもしれない。しかし、訓練をすれば、誰もがその時間で歩けるとすれば、目標を達成することになる。その上で、当たり前に歩けることになったことに対して満足できたとしたら、それが効用のあることに違いない。もちろん、それぞれの個性があるわけだから、そのあたりも勘案しなければならない。あるいは、担っている役割や立場によっては内容も変わってくるだろう。主婦ならば、まずは自然に買い物に出かけられることが第一義的に求められるだろうし、会社員なら通勤経路を歩けることが求められる。
様々な局面に対応できる歩行が望まれるにしても、まずは、本人が歩くことの意味付けができることが大切な気もしてならない。
より深く、より的確な生活課題について、考えられるよう、まずは真摯に耳を傾けられるよう努めたい。