2010九州ロービジョンフォーラムin佐賀に出かけてきた。今回は、「日常生活から観た視野・視力」と「視野について考えようー周辺視野はこんな風に活用できる」の講演と講義をした。随分、ブログにもご無沙汰していたけれど、視野についての考え方は、深まってきている。
周辺視野は、一般的には、中心視野に比べて軽視されがちであるが、中心視野が、その本来の力を発揮するためには、周辺視野で全体をつかまないと、個別的に詳細に把握することが難しい。
網膜が世界全体を把握していても、周辺視への注意の集中や分散がうまくなされないと、中心でとらえた部分視を全体だと認識してしまう。これは、あくまで仮説にすぎない。が、視覚障害で視野に障害をもつ人たちとの実践の中から感じられることである。
では、中心視を抑制して、周辺視を活用するにはどのようにすれば良いのか?
長年、どう表現すれば伝わるのかを求めてきた。現段階での表現。これだって、不十分に違いない。しかし、まずは、言葉に現わさなければ伝わらないので、敢えて言葉にしてみよう。
ぼくは、京都出身なので、幼いころから仏像を見るのが自然だった。その仏像の目は、パッチリ開いているわけでも、全く閉じているわけでもない。半眼である。もちろん、仏像は立像もあれば座禅しているものもある。
その視点はどこにあるのだろう?
おそらく、視点の先は2mから3m先にあり、かつ、半眼にするために、自然と中心視野が抑制されることとなる。ということは、周辺視野に対して、準備段階ができていることになる。つまり、世界を中心視でとらえようとするのではなく、周辺視でとらえようとしているのではないか?そこで、色々考えてみた。
いま、一番伝わりやすい表現は、「電車に乗ったら、座席に座ってみよう。反対側に座っている人の膝のあたりを見つめよう。目は半分ぐらい開けるような感じ。視線を下げ、隣に座っている人を感じてみる。中心視が働きそうになったら、腹式呼吸をしながら、真横を感じるようにイメージしてみよう。」
普段、周辺視などを意識していない。しかし、意識化することで、周辺視野の力が働き始める。顔をまっすぐに保った状態で、隣の人の粗大運動が手に取るようにわかる。真正面の人よりも、周辺で動くもの、大きな静止体もとらえることができる。中心暗点のある人たちが歩きやすくなるのはこの視野なのだ。
そう感じて、様々な周辺視野がある人たちに実験してもらうと、今まであまり感じていなかったこれらのことが、はっきりと意識にのぼることがわかってきた。
これから、その事実について深く検証していく予定である。
まずは、トライしてみてはいかがだろうか。