Kさんのこと (2009/10/27)
カテゴリー: 総合
投稿者: SuperVisor
視聴覚障害者支援センターのKさんから十数年ぶりに電話をいただいた。ロービジョンケアについての問い合わせ。視覚障害者の団体からロービジョンケアについての要望があり、ふと思い出したのだという。
この人とは21年前、まだ若かりし日に、大阪の日本ライトハウスで、視覚障害者の歩行指導員養成課程で、半年間、研修でご一緒させていただいた。そのころ、まだ、ロービジョンケアという言葉もなかったが、保有視覚については興味・関心があった。同時に聴覚、触覚の不思議さにこころひかれてもいた。
ライトハウスの福島先生の「聴覚」の理論がおもしろかったし、芝田先生の博学ぶりに舌を巻いたものだ。新しいことを識る喜びに目覚めたのかも知れない。半年間の研修期間を京都の実家から大阪の放出のそのセンターへ通う時間は、貴重な動く書斎となり沢山のことを学んだ。講義が終わった後、梅田の紀伊国屋書店に毎日のように足を運び、本をどっさりと買い込んだものだ。いまは懐かしい思い出のひとつである。
Kさんの話を聴きながら、ケアの格差を思わずにはいられなかった。大都市圏では、ロービジョンケアは、複数の施設もあり連携も構築されている。地方の基幹都市と言えどもロービジョンケアはもうひとつだと思う。地域の中でロービジョンケアを担う施設や機関がほとんどないからである。視覚を意識化して活用することを納得してもその道具の効率的な使い方や工夫の仕方を様々に一緒になって取り組んでくれる専門家が少ないのが現状である。そんな中で孤立無援のような中でロービジョンケアを考えている仲間がそこに存在すること自体、有り難いなぁ等と感じた。
この人とは21年前、まだ若かりし日に、大阪の日本ライトハウスで、視覚障害者の歩行指導員養成課程で、半年間、研修でご一緒させていただいた。そのころ、まだ、ロービジョンケアという言葉もなかったが、保有視覚については興味・関心があった。同時に聴覚、触覚の不思議さにこころひかれてもいた。
ライトハウスの福島先生の「聴覚」の理論がおもしろかったし、芝田先生の博学ぶりに舌を巻いたものだ。新しいことを識る喜びに目覚めたのかも知れない。半年間の研修期間を京都の実家から大阪の放出のそのセンターへ通う時間は、貴重な動く書斎となり沢山のことを学んだ。講義が終わった後、梅田の紀伊国屋書店に毎日のように足を運び、本をどっさりと買い込んだものだ。いまは懐かしい思い出のひとつである。
Kさんの話を聴きながら、ケアの格差を思わずにはいられなかった。大都市圏では、ロービジョンケアは、複数の施設もあり連携も構築されている。地方の基幹都市と言えどもロービジョンケアはもうひとつだと思う。地域の中でロービジョンケアを担う施設や機関がほとんどないからである。視覚を意識化して活用することを納得してもその道具の効率的な使い方や工夫の仕方を様々に一緒になって取り組んでくれる専門家が少ないのが現状である。そんな中で孤立無援のような中でロービジョンケアを考えている仲間がそこに存在すること自体、有り難いなぁ等と感じた。