5月の連休。今年の連休は、地味に関東で過ごす日々だった。お陰で、室内の整理や普段手抜きになりがちな料理も楽しみながら「ゆったり」とした時間を過ごせた。
 雨がしとしとと降り、自宅周辺の新緑も、水を得てかなお一層の輝きを増し、その美しさに眼を見張る思いもした。何とも言い難い緑の、その背後から立ち現れる息吹、馥郁たる香りとともに、四季があることの有り難さを感じもした。
 快晴の雲一つない光景の中での街路樹とその空間は、コントラストが鮮やかではあるが、まぶしさの原因にもなる。雨降りや曇天時の、光が押さえられた中での街路樹と空との境目や木々の陰影は、至って柔らかく穏やかに感じる。湿度のせいもあるのか、少しぼんやりとした境界線もなかなか味わいがあっていい。山水画に見られる雨中や霧巡る雰囲気はロービジョンの一人一人の見え方に近く、コントラストがあればより稜線を明確にしてくれるように感じ、曇りの日の見やすさの一因であると感じさえもした。
 もちろん、雨に濡れた木々や草花、土の匂いもまた、
ほのかな安らいだ香りを引き立ててくれる。煌めく、あるいは燦々と射す陽の中でのあでやかなコントラスト、しかし、全体的には、やや白けるような強さに比べて、この数日の天気は、柔らかな光の中で、自然な色合いを感じさせ、むしろ、すっきりとした印象を抱いた。
 陰影を楽しむことは、むしろ、ロービジョン者にとっても大切な経験かも知れない。適切な光量の中で、見やすさを追求していくと、心地よいコントラストを見いだすことができるといまでも考え、実際に日常的な工夫もしているのだけれど・・・・・・。
 また一部では間接照明についてあまりいい意見を聞かないこともある。しかし、照明は人工的に制御することが可能であるため、間接照明を上手く活用することは、日常生活を豊かにする可能性もあることも考えてみたい。
 ヨーロッパの学会に参加する度に思うのだが、実に、照明の活用がうまい。日本的に言うと「もっと光を!」となろうが、ロービジョンの人たちから「暗い」とは聴かなかった。光の扱い方を工夫することで、解決できることは多い。光を足したり、引いたりする感性も重要だと思う。
 そんなことを久しぶりに考えている今日この頃である。