夢はなんですか? (2009/07/23)
カテゴリー: 総合
投稿者: SuperVisor
19歳の盲学校出身の弱視聾の青年と話をした。「君が本当にしたいことは何かな?」「いまどのような夢を持っているのか聴きたいなぁ」等と問いかけてみた。本人や周囲の人たちは「あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師」のこの4月から勉強をはじめた彼に対して、疑いもせず夢の延長線上にそれがあると思っている。
けれども、彼は「一番はIT企業に就職したい。でも、出来なかったら不安だし、安全パイのために資格があればなんとかなるんじゃないか。それに周りから反対されたくないから、取りあえずここで勉強している」とのことだった。
なぜ、このような問いかけを彼にしたかというと、「座学については問題ないのですが、実技の時間になるとふらつきや固まってしまう」と教官から相談を受け、本当にしたいことは別にあるのかも知れないと思ったからだ。
実際のところ、「実技が上手くいかないし、気持ちは別のところにあるから、夜眠れない。パソコンを触っている時が一番熱中できる。実技で駄目になるのかと考えると、また緊張して出来なくなる」と。彼の中では、一番はパソコンで、そのパソコンの訓練を受けたいのだけれども、何となく将来に対する不安から取りあえず資格があればという程度の感覚。けれども、そのことが、実は自分自身の本心を曇らせているかもしれないことに気づけていないのかも知れない。心の表層であれこれ考えても、自分自身の夢を見いだせないときには、エネルギーは出てこないし、簡単にぶれてしまうことが多いのではないだろうか?
自分自身が「人生の中で果たしたい夢」をどれほどの人に語れるだろうか。自分自身のことと重ね合わせて考えると、なかなか難しい。自分の求めているのはこれだなんて思っていても、試練や問題が目の前に立ち現れるとぶれてしまうことから見ても、この青年が自分がしたいことを見いだそうともがいていることも十分にわかる。
でも、ほんとうにこれでいいのだろうか?多くの人たちは「世の中の役に立ちたい」と思っているだろう。それは、自分自身の能力や興味もさることながら、本心からこうしたいと思う気持ちが根底にあるからではないだろうか。
かって、「日本の片隅から世界に向けてロービジョンの新しい風を吹かせたい」という気持ちから、この道を歩み始めた。全くと言っていいほど無力なのだが、少なくとも20
年を超える年月の中で努力だけはし続けている。そのもっと深いところに「社会福祉の本質を世界に花開かせたい」という10代半ばに抱いた思いがある。その先には、小学生の頃、インドやアフリカの饑餓の映像を見て、「一人一人が人間らしく生きられる世界があったらいいなぁ」という思いがある。
福祉の世界に誘われるきっかけは2つあった。1つは13歳の事件。肢体不自由のM君との出会いであった。クラスの連絡網の次が彼であったのだが、連絡網をぼくのところで途切れさせてしまった。その原因の一端を彼のせいにしたこと。その恥ずかしい、そして
後悔する思いが僕の原点の一つだ。人間的な弱さを自分自身に感じ、同時に彼の従容として事態を透明な空気のように受けとめる姿に人間的な郷愁を感じたことだった。
2つには、親友のN君との出会い。彼とは様々なことを議論していたが、福祉の話になると理解できないことが多かった。同じ土俵に立たなければわからない。そう考えた僕は大学を中退して、社会福祉系の大学に入り直した。
大学の気配の中に、「孤独、人生の敗残、社会的な不備、差別」等、社会の底辺と言われる現実をまざまざと感じたとき、僕自身、何が出来るかわからないけれど、ぼくの立ち位置はここにあると思ったことだ。
「社会的な痛みに対して応えたい」「本当の癒しとは何か」がテーマになった。そして、人生をあきらめることなく、あせることなく、あわてることなく、大切にできる現場の一端を担いたいと思った。どれだけ、初志を抱いているのか疑問だが、とにかく色々と頑張れるとしたらこれが大きいと感じている。
弱視聾の彼との話し合いの中で、「彼の原点は何だろうか」と考え続けたいと思った。
けれども、彼は「一番はIT企業に就職したい。でも、出来なかったら不安だし、安全パイのために資格があればなんとかなるんじゃないか。それに周りから反対されたくないから、取りあえずここで勉強している」とのことだった。
なぜ、このような問いかけを彼にしたかというと、「座学については問題ないのですが、実技の時間になるとふらつきや固まってしまう」と教官から相談を受け、本当にしたいことは別にあるのかも知れないと思ったからだ。
実際のところ、「実技が上手くいかないし、気持ちは別のところにあるから、夜眠れない。パソコンを触っている時が一番熱中できる。実技で駄目になるのかと考えると、また緊張して出来なくなる」と。彼の中では、一番はパソコンで、そのパソコンの訓練を受けたいのだけれども、何となく将来に対する不安から取りあえず資格があればという程度の感覚。けれども、そのことが、実は自分自身の本心を曇らせているかもしれないことに気づけていないのかも知れない。心の表層であれこれ考えても、自分自身の夢を見いだせないときには、エネルギーは出てこないし、簡単にぶれてしまうことが多いのではないだろうか?
自分自身が「人生の中で果たしたい夢」をどれほどの人に語れるだろうか。自分自身のことと重ね合わせて考えると、なかなか難しい。自分の求めているのはこれだなんて思っていても、試練や問題が目の前に立ち現れるとぶれてしまうことから見ても、この青年が自分がしたいことを見いだそうともがいていることも十分にわかる。
でも、ほんとうにこれでいいのだろうか?多くの人たちは「世の中の役に立ちたい」と思っているだろう。それは、自分自身の能力や興味もさることながら、本心からこうしたいと思う気持ちが根底にあるからではないだろうか。
かって、「日本の片隅から世界に向けてロービジョンの新しい風を吹かせたい」という気持ちから、この道を歩み始めた。全くと言っていいほど無力なのだが、少なくとも20
年を超える年月の中で努力だけはし続けている。そのもっと深いところに「社会福祉の本質を世界に花開かせたい」という10代半ばに抱いた思いがある。その先には、小学生の頃、インドやアフリカの饑餓の映像を見て、「一人一人が人間らしく生きられる世界があったらいいなぁ」という思いがある。
福祉の世界に誘われるきっかけは2つあった。1つは13歳の事件。肢体不自由のM君との出会いであった。クラスの連絡網の次が彼であったのだが、連絡網をぼくのところで途切れさせてしまった。その原因の一端を彼のせいにしたこと。その恥ずかしい、そして
後悔する思いが僕の原点の一つだ。人間的な弱さを自分自身に感じ、同時に彼の従容として事態を透明な空気のように受けとめる姿に人間的な郷愁を感じたことだった。
2つには、親友のN君との出会い。彼とは様々なことを議論していたが、福祉の話になると理解できないことが多かった。同じ土俵に立たなければわからない。そう考えた僕は大学を中退して、社会福祉系の大学に入り直した。
大学の気配の中に、「孤独、人生の敗残、社会的な不備、差別」等、社会の底辺と言われる現実をまざまざと感じたとき、僕自身、何が出来るかわからないけれど、ぼくの立ち位置はここにあると思ったことだ。
「社会的な痛みに対して応えたい」「本当の癒しとは何か」がテーマになった。そして、人生をあきらめることなく、あせることなく、あわてることなく、大切にできる現場の一端を担いたいと思った。どれだけ、初志を抱いているのか疑問だが、とにかく色々と頑張れるとしたらこれが大きいと感じている。
弱視聾の彼との話し合いの中で、「彼の原点は何だろうか」と考え続けたいと思った。