ある人から、「進行性の眼疾患の方に対しての歩行訓練について、どうお考えか」と聴かれた。言うまでもなく、その人の状況により「ロービジョンタイプの訓練」「全盲タイプの訓練」という風に分けて実施しますよと応えた。
 進行性の眼疾患と言っても、止めようもなく進行するタイプから、網膜色素変性症のようなある一定の期間プラトー状態からストンと進み、また停滞をして、また進むという繰り返しをするタイプもある。
 同じ病気でも個体差が様々で、一般化するのも危険なのだが、たいてい聴いてくる人たちは、「言葉の表層」だけをとらえて議論をふっかけてくるように思う。
 くだんの質問をした人は「あなたは進行性の疾患の人に全盲タイプの訓練をしないのではないか」と言いたかったようである。この誤解に大いに腹立たしい思いをしたけれども、禅の公案のような受け答えをした。「機を見て応ず。これ歩行訓練の極意なり」。
 何が言いたいのか、皆さんはおわかりのことだと思う。
 自分の保有視覚を使いたい人が「全盲タイプの訓練」をしたいのだろうか?「多くは経験してみよう」程度で実際に役立たないことが多い。
 実際のところ、以下のようなタイプがある。
 ①周りの目も気になるけど、とりあえず何とかなると思い、できるだけ杖は使いたくな  いタイプ
 ②周りの目は気になるが、いざという時のために杖のつきかたをとりあえず学んでおこ  うというタイプ
 ③保有視覚を十分に使いたいので、杖は足下の不安を取り除ければいいというタイプ
 ④見えているのアイマスクをして、全盲タイプの訓練をするのは嫌だと思うタイプ
 ⑤将来の失明の可能性が捨てきれないので、準備を怠りなくして積極的に学びたいタイ  プ
 ・・・・・・。
 そこにそれぞれの視力や視野の状態、その人の生活レベル等が複雑に絡み合うことで、一人一人に対する応え方も変わってくる。白杖を本当に持てるタイミングとどの時期に全盲タイプの訓練を行うか、本人のこころや身体の準備を見てとることが重要だと考えている。
 さてさて、質問された相手に伝わったか?幾分不安を抱きつつも、一方ではロービジョンの○○と思われていることに不思議な印象を持った。