最近、電気自動車の性能が向上しているとの話と社会のインフラが整えば音環境が変化していくこととをあれこれと考えています。ハイブリッド車が開発された際、トヨタのプリウスが印象的なのですが、交差点での音がとれないとの話題がありました。
 北国で生活しているときに、雪壁が背丈を超えるような場面での交差点の無音状態をイメージしつつ、これは視覚障害者にとって困ったことになるなぁと思いました。
 昨今の地球温暖化の問題も手伝い、あるいは世界同時不況の中で電気自動車が話題になるにつれ、モーター音しかしないという自動車が広がる世界を思うとき、改めて音環境についてしっかりと考える必然を感じています。
 感覚訓練を様々と工夫してきた私にとっても捨てておけない問題意識があります。音をきちんととらえるためには、耳を鍛えること。その耳を鍛えていく上では、静かな音環境から騒々しい音環境へと音を少しずつ加えていきながら、マスキングされがちな音を選択的に聞き分ける必要性があります。
 このように書くと、簡単そうに思えますが、実はなかなかとらえにくいのです。
 例えば視覚障害者誘導ブロックの形状や敷設の仕方、路面とのコントラストにも似たような問題が隠されています。路面にコントラストをつけても天候の状態により、見え方が全く変わってしまうのです。つまり、言いたいことは、自然現象や自然環境にかなりの部分依拠するということです。
 音環境も、季節によって音の聞こえ方が変わります。雨が降ったときも、雪がシンシンと降っているときにも変わります。これからの季節蝉がジージーと鳴く際にも・・・。
そんな多様な日常生活の中で、必要最小限の音サインというものをしっかり考える。一面的なとらえ方ではなく、様々な条件の中で、「安全性」「快適性」「選択的」な音とは何かを普段から意識し、提言していく準備を今から始めておかないとと考えます。
 もちろん、音ではなく振動を活用するという方法も考えられます。最近とみに思うことは、社会的な発言力のある人たちの、あるいは障害のある一部の人の意見が、何の検証もなくただ取り入れられていることに危惧を感じています。
 一人一人が個性的であることを考えると、実は大いに議論しながらより沢山の人たちにとっていいものを創造していく。と言いつつ沢山のという曖昧さは禁物なのですが。
具体的に様々なタイプについて検証し、その上で共通項を拾い出していく地道な作業を重ねていくことに尽きると思います。
 私自身、Eye MovementやSensory Awakeningを拡げてきたわけですが、それはある側面の一つにしか過ぎないと感じています。砂浜の砂のほんの一握りにも過ぎないことしかわかっていないと感じています。ですから、考えられる限りの一人一人の実験から経験知として生み出していければとも考えます。
 とは言え、これすらも真実なのかどうか?ただ言えることは「ああ、そうか」という体験から出てくる実感は、多くはその方向性で間違いが少ないというものです。そして、他の人たちにとっても「引き寄せてみて」同じ再現性があるとすれば、より精度が高まっていくと言うことなのです。
 音については、これから大きな社会問題として取り上げられていくと思います。その時に向かって一緒に準備を始められたらと思います。