12月12日、神戸・芦屋方面で18ヶ所、15日西宮・尼崎方面で20ヶ所、利用者募集活動に回った。病院、役所、職業安定所、保健所等々にいわゆる営業活動をした。利用者という顧客に対して、それぞれの事業体という顧客に対して、「今、何を求めているのか」を探りつつ、提供できるサービスについてあれこれ考えなくてはと思った。ああ、これは、今年流行ったドラッカー的発想だなぁと苦笑する。
今年は、ピーター・ドラッガーが流行った年だった。いや、意図的に取り上げられた年と言っても不思議ではない年だった。日本経済の凋落ぶりが次々とあからさまになりマネージメントについてのノウハウが見直される中で、ドラッガーの考え方が一番受け入れられやすかったからだと思う。更にNHKで「もし高校野球の女子マネージャーがドラッガーのマネージメントを読んだら(もしドラ)」が放映され、その後ドラッガー・ブームが来た。しかしである。多くの日本人が関心を抱いても、現実の経済的な困難さはますます大きくなりつつある。
ドラッカーばりの公共財の活用の仕方は、予算で運営される公共機関の「費用対効果」を求めすぎることは良くないし、数値化できないものを数値化することには限界があると考える。(間違って解釈しているかも?)
実はドラッガーのことなどどうでもいいのだが、利用者募集活動の中で感じたことを気ままに書き記したいと思ったときに、ドラッカーが言う「最大の顧客は誰なのか」等と自然に思い浮かべる程、潜在意識の中にすり込まれたことに驚きを持った。一方でドラッカーが言う顧客の欲求を満たすことや要望を満たすことは大切なことではないと思いつつも、彼のマネージメントの考え方に影響されているらしいのだ。(ちゃんと勉強していないので言い過ぎかな?)
実際、今回二日間に38ヶ所の事業体を回って、それぞれの事業体の温度差を感じたし、その職場の醸し出す風土の違いに目を見張った。更に「障害」に対するとらえ方も様々であった。障害者自立支援法や自立支援医療等など、どの地域にいても均一したサービス提供の質の担保は必要だけれど、その地域の風土、文化、人間関係性等考えると必ずしも同じである必要はないのかもしれない。
それ以前の前提として、この二日間出会った事業所の38名の専門家の「視覚障害」のイメージがかなり違うことが実は大切なのではないか。つまり、異質な感じ方や違いがあるからこそ、新たなものを創造することができるのではないか。こちらは、同じ時間、同じ内容を正確に伝えていても出てくる反応が違うし、それが自然な形。本当に必要なものを探り出し、当事者や家族と関わっていくことを大切にしていけば、必要なサービスを過不足なく提供出来るように思われる。
しかも、時代に即したサービス提供が出来れば自然と人は集まるが、人が来ないとしたらこれまで培ってきた経験値で勝負し押しつけているからだろう。一人一人にあったサービスをオーダーメイドとして提供することは難しいとしても、せめて心の声を訊いてセミ・オーダーメイドのサービス提供は出来るかも知れない。ただいまの、視覚障害者が求めているサービスを心して受けとめたいと思った。