ガイドラインを眼にして感じたこと (2011/12/07)
カテゴリー: 総合
投稿者: SuperVisor
部下が持っていた「平成15年版ロービジョン訓練ガイドライン」を開いてみた。A4版24頁の簡単なものではあるが、訓練のエッセンスが凝縮されている。ガイドラインをまとめた動機も書いてあって、引用すると「眼球運動訓練、視野の意識化等私自身のオリジナリティを明確にする必要に迫られたことに起因します」とある。オリジナリティかと思う次第。
今でも専門職の方にお会いすると「眼球運動訓練」について教示してほしいと言われることがある。文章を読んだだけでは解らないからと言う理由である。
もちろん、そのとおりで正確に伝えることは難しい。眼球運動訓練で牛乳パックをなぜ使用するのか。手に入りやすく、コントラストや文字の大きさが距離により見え方が違うこと、文字や記号を固視していて、見えている文字や記号のあるべきものがないと気づきやすいこともあって推奨していることも上手く伝わっていない。一見、眼を動かすのであれば風景でも、桟でも、光でも同じように思われるかも知れないが、脳は認知する際にある種のつじつま合わせをする。しかし、文字や記号を固視していて、レ点など欠けていれば気づきやすい。
その牛乳パックの動かし方にも注意が必要で一日一回3分から5分間、顔を動かさず牛乳パックの一文字を固視し牛乳パックを動かすと同時に眼球もゆっくり動かすように指示するが、「ゆっくり」も人それぞれ。実際のところ、中央から右端、右端で10秒停止して、右端から中央に戻ってくるまでに、時間として1分15秒から1分30秒かける。つまり、3分間の訓練と言えば一回左右に動かす程度である。実際にやってみるとわかるが、3分間取り組むだけで相当疲れる。
ロービジョンの人たちが初めて取り組むとなると、思いのほか疲れること、眼の痛みを感じるために止めてしまったりする。けれどもその辛さを押して約1ヶ月取り組むと眼の動きが滑らかになり、見かけ上の視野の広がりを感じるようになる。視野自体を連続的につなげていくことで、脳の中に蓄えられている記憶との整合がなされ、全体として捉えることができるようになる。
また、最近の知見で、習慣化するには90日間、同じ時間帯に繰り返し行うことにより定着しやすいとの報告もある。ロービジョンの方で、眼球運動訓練を継続して行えている人たちは90日を超えている人たちでもある。
正しく技法を伝達するためには、具体的にかつ丁寧な説明を心がけなければならないと反省もしている。
さて、2010年3月17日のブログに「視野の意識化」についても書いている。まだ周辺視野についてあれこれ思索しており明確には発言できなかった。人に話すにしても、当たり前にある視野の効用について普段の生活レベルから話すことが出来なかった。視野があまりに自然なため気づきにくく、周辺視野情報はなおさらである。けれど、幾つかの実験を試し周辺視野の意識化が進んでくると、周りの情報が実は驚くほど飛び込んでくることに気づいた。さらに、その見たいものをはっきり詳細にとらえたければ、中心視野をその見たいものに向けるだけでよい。視野領域を分類する言葉に惑わされていたような気がする。
実感的に言うならば、中心視野とか誘導視野とか周辺視野の区別は視力に依拠したものである。中心視野に意識が向いていると周辺視野領域の発動が押さえられる。つまり、意識が向くとき焦点化されると同時により細かな情報を抽出することが出来る。人間が動物であるという視点からとらえると、周辺視野で全体をザックリととらえている。つまり、周辺視野と呼んでいた領域が全体視を保障していることになる。このことに気づいていなかった。
では、周辺視野を発動させるためにどうすればいいのということになる。一つのヒントは仏像にあった。仏像は例外なく半眼である。眼がパッチリと開いていないが閉じてもいない。ならば半眼にすれば、容易に周辺視野が意識化できるかというとこれでは無理だった。半眼にしても中心視野が発動している状態は変わらない。そこであれこれ日常的に試してみた。布団にあぐらをかいて3m位先を見る。まぶたを軽く落とす感じで眼は閉じない。これは雑念を押さえられたが全体を感じるまでに至らなかった。
ある日、電車内で反対側に座っている人の膝頭あたりに視線を落とし眼を半眼にしてみた。ここまでは、布団にあぐらをかいた状態と同じである。もう一つ試してみた。真中で見ようとせず周辺領域でまず感じてみようと意識を向けたがなかなか上手くいかなかった。疲れてきたところ、隣に座っていた女性がバックからノートらしきものを取り出したのをクリアに感じた。これはと感じた。
それからは電車に乗るごとに、意識的に真中で見ず周辺視野で感じようと取り組んでみた。すると、周辺視野だけで、かなりの情報が取れることに慣れ体感できた。そして思い出したのが、知覚心理学者のJ.Jギブソンが書いた「生態学的視覚論」で、その本の中にソファーの椅子に座った男性が脚を伸ばした状態で片眼の視野に映る挿絵だった。それぞれの見ているものの明確さは別として視野全体に映る光景は相当なものである。その後ロービジョンの人たちに、周辺視野の意識化のトレーニングを一緒に考えようと提案し試している。
まだまだ発展途上ではあるが、周辺視野を意識化でき、偏心固視がしやすくなったとの報告もいただいている。先に書いた「視野の意識化」も参考にしていただき、視野談義を十分していきたいと思っている。
今でも専門職の方にお会いすると「眼球運動訓練」について教示してほしいと言われることがある。文章を読んだだけでは解らないからと言う理由である。
もちろん、そのとおりで正確に伝えることは難しい。眼球運動訓練で牛乳パックをなぜ使用するのか。手に入りやすく、コントラストや文字の大きさが距離により見え方が違うこと、文字や記号を固視していて、見えている文字や記号のあるべきものがないと気づきやすいこともあって推奨していることも上手く伝わっていない。一見、眼を動かすのであれば風景でも、桟でも、光でも同じように思われるかも知れないが、脳は認知する際にある種のつじつま合わせをする。しかし、文字や記号を固視していて、レ点など欠けていれば気づきやすい。
その牛乳パックの動かし方にも注意が必要で一日一回3分から5分間、顔を動かさず牛乳パックの一文字を固視し牛乳パックを動かすと同時に眼球もゆっくり動かすように指示するが、「ゆっくり」も人それぞれ。実際のところ、中央から右端、右端で10秒停止して、右端から中央に戻ってくるまでに、時間として1分15秒から1分30秒かける。つまり、3分間の訓練と言えば一回左右に動かす程度である。実際にやってみるとわかるが、3分間取り組むだけで相当疲れる。
ロービジョンの人たちが初めて取り組むとなると、思いのほか疲れること、眼の痛みを感じるために止めてしまったりする。けれどもその辛さを押して約1ヶ月取り組むと眼の動きが滑らかになり、見かけ上の視野の広がりを感じるようになる。視野自体を連続的につなげていくことで、脳の中に蓄えられている記憶との整合がなされ、全体として捉えることができるようになる。
また、最近の知見で、習慣化するには90日間、同じ時間帯に繰り返し行うことにより定着しやすいとの報告もある。ロービジョンの方で、眼球運動訓練を継続して行えている人たちは90日を超えている人たちでもある。
正しく技法を伝達するためには、具体的にかつ丁寧な説明を心がけなければならないと反省もしている。
さて、2010年3月17日のブログに「視野の意識化」についても書いている。まだ周辺視野についてあれこれ思索しており明確には発言できなかった。人に話すにしても、当たり前にある視野の効用について普段の生活レベルから話すことが出来なかった。視野があまりに自然なため気づきにくく、周辺視野情報はなおさらである。けれど、幾つかの実験を試し周辺視野の意識化が進んでくると、周りの情報が実は驚くほど飛び込んでくることに気づいた。さらに、その見たいものをはっきり詳細にとらえたければ、中心視野をその見たいものに向けるだけでよい。視野領域を分類する言葉に惑わされていたような気がする。
実感的に言うならば、中心視野とか誘導視野とか周辺視野の区別は視力に依拠したものである。中心視野に意識が向いていると周辺視野領域の発動が押さえられる。つまり、意識が向くとき焦点化されると同時により細かな情報を抽出することが出来る。人間が動物であるという視点からとらえると、周辺視野で全体をザックリととらえている。つまり、周辺視野と呼んでいた領域が全体視を保障していることになる。このことに気づいていなかった。
では、周辺視野を発動させるためにどうすればいいのということになる。一つのヒントは仏像にあった。仏像は例外なく半眼である。眼がパッチリと開いていないが閉じてもいない。ならば半眼にすれば、容易に周辺視野が意識化できるかというとこれでは無理だった。半眼にしても中心視野が発動している状態は変わらない。そこであれこれ日常的に試してみた。布団にあぐらをかいて3m位先を見る。まぶたを軽く落とす感じで眼は閉じない。これは雑念を押さえられたが全体を感じるまでに至らなかった。
ある日、電車内で反対側に座っている人の膝頭あたりに視線を落とし眼を半眼にしてみた。ここまでは、布団にあぐらをかいた状態と同じである。もう一つ試してみた。真中で見ようとせず周辺領域でまず感じてみようと意識を向けたがなかなか上手くいかなかった。疲れてきたところ、隣に座っていた女性がバックからノートらしきものを取り出したのをクリアに感じた。これはと感じた。
それからは電車に乗るごとに、意識的に真中で見ず周辺視野で感じようと取り組んでみた。すると、周辺視野だけで、かなりの情報が取れることに慣れ体感できた。そして思い出したのが、知覚心理学者のJ.Jギブソンが書いた「生態学的視覚論」で、その本の中にソファーの椅子に座った男性が脚を伸ばした状態で片眼の視野に映る挿絵だった。それぞれの見ているものの明確さは別として視野全体に映る光景は相当なものである。その後ロービジョンの人たちに、周辺視野の意識化のトレーニングを一緒に考えようと提案し試している。
まだまだ発展途上ではあるが、周辺視野を意識化でき、偏心固視がしやすくなったとの報告もいただいている。先に書いた「視野の意識化」も参考にしていただき、視野談義を十分していきたいと思っている。