秋の深まりををここ一週間くらいで感じ始めている。Eye Movementの視標となるものを様々に作っては捨て、作っては捨てしている。なかなか、満足にいかない。ここ数年、出会う人たち一人一人にあうものを作ってこなかったなあと反省しかり。どのようなものを作れば使ってもらえるのだろうと自問自答している。
今年は、自分の感じ方が変わったのだろう。緑を見ていても「輝いて」見える。心境が大きく変わったわけではない。が、葉っぱ一つ一つが輝いて見える。その美しさに目を見張っている。そして、トレーニングに用いる視標もしっかりと輝いて見えるような工夫をしたいと思った。毎日、使うものだからこそ、使いたいと感じてもらえるものにしたい。
言葉にすると簡単なのだが、なかなか難しい。どれくらいの大きさや輝度が必要だろうか。白黒反転もいいけれど、色彩豊かなものも捨てがたい。
このような気持ちでいることも久しぶりだと思いつつ、今日も自分の中にあるアイデアを形に結ぼうと苦戦している。

ある人と話している中で、20代、30代で、自然を見ても心に残らなかったことが、最近はよく残るということで一致した。物覚えは少々苦手になったと笑いながら、人生が豊かに彩られているからかもしれないと。木立の陰影に、若いころは心をときめかすことはなかった。旅先で様々なものを見てはきたが、今ほど心の中に残ることはなかった。けれど、今は毎日の生活の中で、ものが輝いてみえるのだ。このことを思索することも、これから取り組みたい一つではあるが、自分が形に結ぶトレーニング用のちょっとしたものも大切にしたいものだ。