どこまで応援団になりうるのか?そんなことを改めて考える。と言うのも、いつものように、「ロービジョンケアを必要としている人がいるのだけれど、原職を続けていく上で、『いま』を逃すとまずいように思うのですが・・・」等という電話が掛かってくる。それも、ロービジョンケアがまだ発展途上の地域ともなると複雑な心境になる。具体的にそこへ行って、保有視覚の活用方法や場合によってはその他の感覚を用いて生き残れる可能性を伴に探りたいのだけれど、現実には難しい。よく知っている人たちや組織があれば、迷うことなくつないだりもする。が、なかなか、そういう状況がない。
今日もまた、そういう相談を受けた。相談してくれた専門職に、その地域で取り組んでくれそうな人の紹介をしつつ、紹介した人たちに「もしかしたら、相談があるかも知れないのでよろしくお願いします。」等と話す。当事者の様々な欲求に応えるには人的資源は限られていることもあり、うまくつながっていくことを望んだりする。
そこでもまた、自分自身に問いかけるのだ。「どこまで応援団になりうるのか?」と。
「いまの相手が必要とするものは何か?その地域に社会資源がなかったら、簡単に諦めはしないか」「どうすれば、迅速につながっていくことができるか」「自分がスーッと発想したかのような自然さで取り組めるようにするには・・・」等と考えてしまうのだが、実際は、頭で考えていることより、その人の機(タイミング)があえば自然に動き出すことも事実である。悩みは尽きない。