ある人の誘いで旭川へ出かけた。こぢんまりとした集会の、その膝つき合わせるような空間がなんとも心地よかった。話も沢山するわけでもなく、ほんの20分くらいのものであった。語りすぎず、ほどよい程度のしゃべりを今後は気にしつつ、起承転結を考えたいなぁなどと思った。
その後、拡大読書器の使い方に話題が流れ、実際にそのひとの視野の状態を確認しながら、この器械の可能性や制約などを話し合った。
道具が立ち現れるには、その道具でより豊かな状況へと転換したいという意図が見え隠れするのだが、実際のところ開発者の意図が伝わっていないことが多い。しかも、ある程度使えそうなものであればあるほど、適当な使われ方をしてしまうような気がする。
ロービジョンケアから考えると、当事者が視覚機能を十分理解した上での操作を考慮したい。たかが道具が、されど道具となるからだ。