LVST-Tokyoトップへ

過去の投稿

December 2011 の投稿一覧です。
カテゴリー: 総合
投稿者: SuperVisor
定点観測の仕方について書いた。その後、ある人から定点観測について問いをいただいた。「いまだに景色によって中心が見えている場合と、見えていない場合の違いがつかめていないからこういう時期でも定点観測は効果があるのだろうか」というものだ。視野の意識化では定点観測が必要で、その際具体的な視標が必要となる。先の問いをした人は、風景を基準にしようとしているため脳のFilling in(つじつま合わせ)のために違いが気づけないことを教えてくれる。と同時に視標の選択が大切になる。眼球運動訓練でも、定点観測でも視標は文字や記号、図形などが良い。特に文字の場合、あるべき位置に線が欠けていると気が付きやすいので視標としては最適である。けれども、視力の低下が著しい場合文字が使えない場合がある。その際には、定点観測が難しくなる場合もある。アムスラーチャート(白黒反転の格子縞上のもの)を加工したり、〇・△・□(●・▲・■)等で工夫して定点観測用に作る場合もある。あきらめてはいけない。
もう一度、定点観測のための具体的方法について書いてみる。定点観測では、同じ時間帯、同じ視標(カレンダー)、同じ方法・手順で淡々と取り組むことがコツである。調子のいい日と悪い日とか見やすい日と見えにくい日の違いを意識化してみるのも大切である。できれば、パソコンやICレコーダー等でメモとして残しておき、それぞれの共通事項を見出す工夫をすると意識にのぼりやすくなる。
一般の家庭なら3mぐらいの位置の確保はできるだろう。カレンダーを壁に貼り、1m、2m、3mの見え方を幾度となく体感するように努める。目線はそのまま維持することがここでのポイントとなる。まずはカレンダーの同じ位置を固視して距離を変えること、距離による眼筋の動かす量の大きさを意識すること、カレンダーの文字列を凝視しながら追視する等この定点観測を丁寧にすればするほど距離感がつかめるようになる。つまり眼を主体的に動かす際の距離との関係が見えてくれば日常生活の中で手前のものを見るほど、眼を大きく動かす必要がわかる。
定点観測で用いるカレンダー法は、見るたびに新しい発見があるだろう。それを毎日の生活の中の一部に取り入れて、更に意識化を進めていくと実際の場面でうまく眼を使えるようになる。
カテゴリー: 総合
投稿者: SuperVisor
久しぶりに家族8人が揃った。子どもたちが長ずるに従って一緒に過ごす時間は減っていく。年末年始をともに過ごすと言ってもお互いの時間が合わず、すれ違いになりやすい。3.11以降、家族の絆が言われ年末商戦でも家族の絆を意識しての展開だったとか。鍋を囲むというのが定番とも聞いた。そんな中で「焼肉」をすることとなった。
焼肉をして野菜をおいしく焼けないことにストレスを感じることがある。コツは肉は肉だけ、途中の箸休めとして野菜を中心に焼くといい。火の通りやすいものと通りにくいものの時間差攻撃も有効のようだ。そんな調子で焼いていたら、「野菜がおいしいね」と言われ少々満悦になった。
よく若い視覚障害者の人から「バーベキューに行くのですが、肉が焼けているかいないか
の区別がつかず困っています」と問われることがある。肉が焼けるとスーッと離れる。くつつかないのだ。肉の片面に火が通ると、網で焼いても鉄板で焼いても肉がくっつかず裏返しやすくなる。
レア、ミディアム、ウェルダンなど焼き方の好みも人さまざまである。だから片面が焼けて裏返し、もう片面に火が通ったらすぐに食べればミディアムの食感となるし、ウエルダンなら更に30秒前後焼けばいい。もちろん火力との関係も考慮する必要があるのだが。
料理のレパートリーが増えたのもちょっと立ち止まって考えると、家族に「おいしいね」と言われたく様々に工夫し、食べさせたことが大きかったような気がする。案外、料理自体が得意になるかならないかは、食べさせたい相手の喜ぶ笑顔をみたいかどうか、そんなところにあるように思った。そう、誰かの喜ぶ顔が元気のもとになるし、そのための苦労は大したものでもないということに違いない。
カテゴリー: 総合
投稿者: SuperVisor
仕事納め。書類や机まわりの整理に2時間ばかり費やした。普段からこまめに整理しているのだがエントロピーの第2法則のままに、たまる、たまる、たまる。厄介だなあと思いつつ、整理品の中からLow Vision教材に使えそうなものが、これまたゴッソリ出てきた。
美術館のチラシ、チケット、地図・・・・・・。それらを眺めていると、Low Vision Careを始めた当初、考えられるだけの日常的に接するものを集めて、訓練時に提示していたことを思い出した。また、アセスメント(初期評価)の時に、具体的な質問をしながら、一人一人の一番困っていることを聞きつつ、それぞれのタイポスコープ(書くためのガイド)を作成していたことも思い出された。
改めて一人一人のリアリィティに応えたかったから、様々な工夫をしていたのだと思うとともにもう一度原点に回帰し、より洗練された体系を創造する必要も感じた。

視野の見かけ上の拡大効果に着目して牛乳パックによるEye Movement訓練や同じくカレンダー法なるものを考案してきたが、3分間、視標の文字を固視して一往復から一往復半眼球を動かすと、普段から顔を振って対応しているために眼筋(眼の中に6つ筋肉が入っている)を使っていないため疲れてしまったり、痛くなったりする。イメージ的には、急に運動をしたときあちこちが痛くなるような感じに近い。とは言え、毎日、朝起きて顔を洗う、歯磨きをするような習慣にまでもっていきたいが、疲れたり痛かったりで継続できないでいる人もいる。具体的かつ効果的な方法をあみだすことや習慣化するのにいい方法などを考えたい。年末年始の宿題である。

カテゴリー: 総合
投稿者: SuperVisor
今年最後のロービジョン訓練を行った。訓練を実施したのは50代の男性で経営者だった人。網膜色素変性症が進み、仕事を廃業してセンターの利用となった。視野は半径10°の求心性狭窄で横に広い楕円で、視力は5m視力で0.1。25cmの近見視力は0.15。10月中旬から訓練を始めて2ヶ月。この時点では1分間に135字/分だったが、現在365.1字/分読めるようになった。
この人に定点観測の仕方を説明した。東京LVSTの訓練会に一度でも来られた人なら「カレンダー法」と言えばピンと来るかも知れない。そう、普通のカレンダーを利用してのものだ。
視野の説明をいつもどおりしながら、住友生命が作成しているユニバーサルデザインのカレンダーを使い、横3ヶ月分×縦4ヶ月分計12枚をセロファンテープでつないで壁に貼れるように加工した。大きさは、縦132.4cm、横106.2cm。1枚のカレンダーの大きさが縦33.1cm、横35.4cmのもの。実際に、できあがったカレンダーを壁に貼り1m、2m、3m、5mと距離を伸ばして視野に入る情報量を意識してもらった。
1mではカレンダー1/12程度、つまり1枚のカレンダーが視野のおおよその範囲だが縦は少し欠けるとのこと。3mでは横は全部入るが縦が欠け、5mでは縦も横も全部入ることを確認した。
40分ほど徹底してカレンダーを用いて説明すると、距離と視野の関係が自然と意識されてくる。そして、カレンダーを確認するのに距離が近いと眼を大きく動かす必要があること、離れれば離れるほど少しの動きでよいことが本人自身解ってきた。更に足元が確認しにくくなるのは視対象の距離から1.5mを切るあたりと具体的な距離感も感じられ、視野の理解が一段と進んだ。
ここで、今一度、定点観測のことを思い出してほしい。前に定点観測で嵐山の紅葉の話をしたけれど、視野の意識化においても定点観測が必要なのだ。自宅で壁から5mの距離にカレンダーを貼り近づくのは難しいが3m前後なら何とか工夫すれば出来るだろう。その中で、1m、2m、3mの見え方を幾度となく体感するのである。この定点観測を丁寧にすればするほど距離感がつかめるようになる。と同時に眼を主体的に動かす際の距離との関係が見えてくる。手前ほど大きく動かす必要がわかる。
同じ条件で何回も意識化して見ると、見るたびに新しい発見がある。これが視野を意識して実際的に使う上で大切なのである。この50代の男性も、改めてカレンダー法に驚いていたようだ。
新しい年、カレンダー法に基づく視野の意識化のため壁にそれぞれが加工したカレンダーを貼ってみてはいかがだろうか。
カテゴリー: 総合
投稿者: SuperVisor
今日、ウォータマンの万年筆を買った。今年2本目である。この20年、万年筆を買う機会もなく、それほどものを書くこともなかったこともありボールペンで十分だった。
3月に東京を離れるとき、3年間の自分への褒美としてスイス製のカレンダッシュの万年筆を買った。今思えば、無意識に文章を書く機会が増えることを感じていたのかもしれない。実際に万年筆で書くと、インクの濃淡もありなかなか味わい深い。紙面に対しての筆圧の感覚が楽しいのである。カレンダッシュのこの万年筆は小ぶりなシルバーメタリックで、手に持った重さが快く更にペンの重心の位置も良いので、これを用いてを文章を書くことも増えた。
フランス製のウオータマンも手に持った重さが心地よかった。これもフルに活用して様々な文章を書き連ねていこうと思う。さらさらと紙の上を走るペンの音は、思索した思いを一気に書き記す上で心地よいリズムとテンポを与えてくれる。
この感じは、いい拡大鏡や補助具に出会った時の感動にも似ているように思うのである。
カテゴリー: 総合
投稿者: SuperVisor
連休初日の一日を含くむ5日間のロービジョン集中訓練を終えた。歩行訓練、ロービジョン訓練、家事管理等、事前のアセスメントから絞り込んで時間割を作成した。訓練時間は33時間。食堂・風呂、トイレのオリエンテーションを1時間のみとし、訓練に集中できるように中堅職員がプログラムを組んだ。
結果的に本人自体は実質4日間の年休でかつ訓練終了後自宅で2日間復習できる状況ができたのだが、その効果を冷静に判断しなくてはならない。仕事をしながら必要な訓練を受けることは意外と難しい。けれど企業側(雇用側)に理解があると研修という形で訓練に出してもらえる。
送り出す側はまずスキルアップを期待し、更に「その人らしさ」が出てくることを望んでいる。劇的な展開を求めてはいない。むしろ、戻ってきて、チーム(組織)の一員として伴に働き続けられることを望んでいる。現職を継続できる環境整備に感謝すべきだろうがその中にあって、強みを生かしながら「貢献する」ことも考えてみたいと思った。
カテゴリー: 総合
投稿者: SuperVisor
19日から23日の予定で、視覚障害者の現職継続のための集中訓練を行っている。訓練を受けたいと職場に申し出たところ交渉の中で2週間休暇を取って訓練を受けることは認めてもらえなかった。何日なら許可してもらえるか交渉したところ正味5日間なら訓練を受けて良いこととなり、本人の意向を受けて期間設定をした。
この人は、網膜色素変性症で視野が求心性視野狭窄半径10°以内、裸眼視力は右0.08左0.06で矯正視力は両眼とも0.7である。この状況だと訓練施設に入所して訓練するまでもないと判断する人たちもいる。しかし、現実の場面で困っている。書類の作成に手間取る。ものにぶつかる。夜間足元が不安で歩けない。それもすべてが不安ではない。けれど今まで出来ていたことが出来なくなると、嘘のように「とらわれ人」になって固まってしまうのである。
訓練を請け負って3日目。夜間歩行の状況から考えてみよう。初日は規則正しく並ぶ街灯を活用してまっすぐ歩いて見ることを提案。杖や懐中電灯は使用せず出来るだけ遠くに視線を置くように提案。ご本人が眼を動かすことに専念できるよう「危ないときは止めます」とのことで実施。まっすぐ歩けますねとの言。遠くに視点を置くと「光の関係でしようかね、まっすぐな道である感じがします。奥の光は信号機の赤?」
実際に100m先の信号機をキャッチしていた。本人自身が眼の使い方次第ですねと驚いていた。
2日目。遠くの街灯や景色に集中し足元は見ないようにし、足元の不安を取り除くため杖を縁石にあてて歩いてみることを提案した。杖の扱いはぎこちないが、足元を気にせずに歩けること、歩速が早くなっていること、先々の情報を眼で確実に取りやすくなることなどを本人は感じたようだ。「夜間の方が歩きやすい気がします。目印に集中しやすいですね」との言。
そして3日目の今日。杖を用いず懐中電灯と遠くの街灯や景色に集中して歩いて見ることを提案した。すぐに、「杖、使っていいですかね」と言われたので、もう少し色々試してみようと提案。反射材、路側帯、縁石等々に光を当てて歩く方法も提示した。「懐中電灯だと集中できないですね」「むしろ杖だと、足元の不安がないから、目が使えますね」実際に歩いてみて、こんなに違うなんて思いもよりませんでしたと。
ここで「とらわれ人」と言ったことを思いだしてほしい。自分なりに改善策を求め様々に努力していたとしても、ある種のイメージにとらわれると思考が「固まって」しまうのだ。夜は歩きにくい。遠くは見えない。懐中電灯の明るいのを使えばなんとかなる。
もちろん、本人の生理的な機能から考えると難しいこともあるのだが、一端リセットして取り組んでみることも大切だ。その人がなぜ「歩けない」と思っているのか、どう工夫すれば歩けるのかを模索すると、意外と自身の思い込みが制約していたことが多いように思う。
あと、2日間の訓練の中で、ご本人の希望されていることを一つ一つ解決できるかは、ある種腕の見せ所でもある。だが、現職継続をしていく上で周囲の人たちにきちんと理解され、対等な状態で支援も得られるように見え方に沿った工夫と周りを動かす智慧を一緒に見いだせればと考えている。

カテゴリー: 総合
投稿者: SuperVisor
冬の嵐山を妻と散策した。10月から週末に自宅に戻れた際に定点観測と称して、自宅から渡月橋、そして嵐山公園に向かって歩く。嵐山に着くと、すっくと立った赤松を基準木としてその周辺の広葉樹と次第に色づく山肌を30分から小1時間くらい眺める。川面に映る山肌の映りこみや行き来するボートなどを眺める。同じ場所で観察すると葉が黄から赤へ移相するのも気温差が影響していることも、陽のあたりかたにより色づくスピードの違いが生じることも実感出来る。川底を泳ぐ川魚や水鳥の、普段見落としがちな風景が「図」として浮かび上がってくる。ある種の注意の向け方が大切であると思った。目は心の眼であると言われるゆえんだ。
嵐山の、その冬支度の整った景色、木々の葉が落ちくっきりした枝ぶりが天を突く姿と冬の日溜まりの川面の美しさを感じ、保津峡と呼ばれる場所を遡りたくなった。嵐山から保津峡、亀岡に至る山肌とその間を流れる保津川の景色を楽しむのは、鉄道を使うのが手頃であると思い、今は観光用として使われている旧JRの単線を走るトロッコ列車利用して往復することにした。
この単線をたどるのは、30年ぶりだなあという感慨からか、子どもの頃野々宮神社の踏切から入って線路伝いに保津峡の駅までよく歩いたこと、途中トンネルの中で列車が来て待避用の凹みに張り付いた時の風圧に驚いたこと、鉄橋を渡るときに枕木と枕木の間の空間から眼下に流れる川を見て足がすくんだこと等を同行した妻に話した。
夜、単身赴任先に戻るため、少し寄り道をして嵐山の花灯籠にも出かけた。渡月橋がライトアップされ、中之島公園に灯籠が灯っている様も幻想的だった。
普段、何気なく風景やものを見ていて多くの情報量をとっているつもりでいるが、取れている情報は心の向きによる。昼間の嵐山の風景も、保津峡の列車の往復も、花灯籠のライトアップでも、すべてを見ているわけでなく、自分の興味・関心の向きに従って選択的な情報収集と情報カットを自然に行っているのである。だからこそ、時間のあるときに定点観測の体験をし、様々なものごとに関心を拡大してみることが必要だと感じたのである。
カテゴリー: 総合
投稿者: SuperVisor
今年の忘年会に「国稀のにごり酒」を提供した。日本最北の地・増毛で作られるこの酒は、辛口ですっきりした飲みごたえもあり、普段から飲んでいる酒ではあるが、口当たりが良く飲みすぎるため酔っぱらってしまう。ふるまったメンバーがお世辞かもしれないがおいしいといい、あっという間に無くなったことで、改めていいお酒という印象を強くした。
新しいメンバーとの酒宴の席も楽しく、大いに飲み語った。普段ならかなり酒が入ると寝てしまうのだが、今回はパッチリ起きていた。調子がいいなあと思いつつ、最後にやらかしてしまった。自宅への帰り道、新快速で2駅先に乗り過ごしてしまった。幸い、戻りの電車があり難を逃れたが、忘年会が終わるまで注意しないとと思った。
記録に残る「忘年会」という言葉は明治10年代とのこと。当時も今も変わらず、酔っぱらいに往生していたらしい。年末に集まって飲む習慣は、室町時代の連歌会の後に、飲み会をしたことまで遡れるらしい。その時代の飲み会は、風流だったのだろうか。
ずいぶん前に、網膜色素変性症の人たちがお酒をたくさん飲むと「よく見える」と言っていたことをこの時期に思い出す。アルコールにより血流が良くなり、網膜に潤沢に血がめぐり、見え方が改善されるのだとの説明を受けたように思う。さらに、そのことから、治療の中で血管拡張剤なるものが処方されているとも聞いた。しかし、血流量を増やしコントロールが良ければそのまま見え方が維持できるかというと、生体の機能的な側面からそうとも言い切れない。難しい問題がある。
あまり、経験値だけで物事を語ることは慎みたいが、今まで何千人ものロービジョンの人たちと会っての感覚で言うなら、「体力を消耗しすぎることが続くと見え方に変化をもたらす可能性が高いようだ」と。病気にかかっても体力がある時は治癒するが、あまりに身体が疲れ切っていると治らないことからもそう思うのである。
今年の年末は、暴飲暴食を慎み、風流な忘年会を楽しみたいと思っている。
カテゴリー: 総合
投稿者: SuperVisor
12月10日に今年最後のセルフトレーニングの会に参加した。1000年に一度と言われる未曾有の大震災により、首都圏の計画的な節電が行われたことは周知の通りである。そんな中、移動の際のライン取りや手がかりとして確認していた照明等が使えなくなったこと、音の手がかりが減った話を聞き及んだ。
落ちつき始めてきた今、この種の話を沢山の視覚障害の人たちから聞くことになると感じている。震災前に日常的な手がかりとして活用していたサインが使えなくなった例として、エスカレーターの音や自動券売機の音の消失、駅通路等の照明の間引き等々があったことを取り上げていた。自分なりの工夫を凝らしてしのいだ方法が、再び環境が元に戻ったことで逆に手間取ったことなどもあったとのこと。そこで思ったのだが、社会的弱者といわれる人たちのことを最初から想定して対応していれば、いらぬ努力をさせずにすんだのではないかと。けれど、どういうわけか大きな問題になってから、あたかもそんな問題があったかのような対応が多すぎる。いや、ある程度知りながら、問題に発展するまで放置しているのではと疑いたくなる事例が増えている。
いま、個人的に、特に視覚障害者の安全な移動、歩行を妨げる現象がかなりの勢いで進んでいることに危機感を抱いている。例えばハイブリッド車や電気自動車問題。音がなくなっていくことは、騒音やサウンドスケープ的に良いとされたようだが、結局、視覚障害者が移動場面での音源定位、特に横断時の大切な音源であることが納得されて初めて、音をある程度つけることになった。
エスコートゾーンという、横断歩道のゼブララインに縦の低い点字ブロックまがいのものが敷設されている。これも本当に何の前触れもなく敷設されているが視覚障害者に周知されていない。むしろ、9割以上のロービジョンにとって、横断の際の手がかりとして階段状のゼブララインが敷設されていたその縦のラインをサインとする方が安全かも知れない。今の横断歩道の横バー状にしたのは、車がスリップしやすいから取り除いたのではないのか。それなのに、新たに何の理由付けもなく平気で敷設する。
更に、歩車分離方式の信号機の急激な展開。車に優しい社会をつくってどうするのだろう。視覚障害者は音を手がかりにしている。交通弱者にやさしいまちづくりをしてきたのではないのか。しかし、全国各地の横断歩道がスクランブル交差点状態になっていて、困るのは音響信号機の音源はそのままという展開。混乱するのだ。
舗道上では、スマートホンを片手に歩く人たちは画面に夢中か、一人コンサートに夢中で杖をついている人たちにガンガンあたってくる。当の携帯会社は「歩行時の使用は止めるように」などと注意喚起しているとうそぶいている一方で、視覚障害者のための「ふれあいコール」等のサービスをしている。移動の安全のために企業としての社会責任について考える方がもっと大切だと思うのだが。また、キャリーバックを引く人たち。騒音を立てつつ、後の確認もせず我が物顔に闊歩する。音が取りにくいではないか。
まだまだ、例をあげればきりがないのだが、誰が悪いという話ではない。犯人なんかいないからだ。ただ、新しい物を導入しようと考える企業や研究者、専門家のモラルというか、相手を思いやる気持ち、新しい物を導入したときに考えられる可能性と問題点をしっかり見極めてコンセンサスを得、進めていく話だと思う。全体を見据えた上で、一つ一つの改善をめざすべきではないか、そんなことを訓練会後ずっと考えている。

カテゴリー: 総合
投稿者: SuperVisor
12月12日、神戸・芦屋方面で18ヶ所、15日西宮・尼崎方面で20ヶ所、利用者募集活動に回った。病院、役所、職業安定所、保健所等々にいわゆる営業活動をした。利用者という顧客に対して、それぞれの事業体という顧客に対して、「今、何を求めているのか」を探りつつ、提供できるサービスについてあれこれ考えなくてはと思った。ああ、これは、今年流行ったドラッカー的発想だなぁと苦笑する。
今年は、ピーター・ドラッガーが流行った年だった。いや、意図的に取り上げられた年と言っても不思議ではない年だった。日本経済の凋落ぶりが次々とあからさまになりマネージメントについてのノウハウが見直される中で、ドラッガーの考え方が一番受け入れられやすかったからだと思う。更にNHKで「もし高校野球の女子マネージャーがドラッガーのマネージメントを読んだら(もしドラ)」が放映され、その後ドラッガー・ブームが来た。しかしである。多くの日本人が関心を抱いても、現実の経済的な困難さはますます大きくなりつつある。
ドラッカーばりの公共財の活用の仕方は、予算で運営される公共機関の「費用対効果」を求めすぎることは良くないし、数値化できないものを数値化することには限界があると考える。(間違って解釈しているかも?)
実はドラッガーのことなどどうでもいいのだが、利用者募集活動の中で感じたことを気ままに書き記したいと思ったときに、ドラッカーが言う「最大の顧客は誰なのか」等と自然に思い浮かべる程、潜在意識の中にすり込まれたことに驚きを持った。一方でドラッカーが言う顧客の欲求を満たすことや要望を満たすことは大切なことではないと思いつつも、彼のマネージメントの考え方に影響されているらしいのだ。(ちゃんと勉強していないので言い過ぎかな?)
実際、今回二日間に38ヶ所の事業体を回って、それぞれの事業体の温度差を感じたし、その職場の醸し出す風土の違いに目を見張った。更に「障害」に対するとらえ方も様々であった。障害者自立支援法や自立支援医療等など、どの地域にいても均一したサービス提供の質の担保は必要だけれど、その地域の風土、文化、人間関係性等考えると必ずしも同じである必要はないのかもしれない。
それ以前の前提として、この二日間出会った事業所の38名の専門家の「視覚障害」のイメージがかなり違うことが実は大切なのではないか。つまり、異質な感じ方や違いがあるからこそ、新たなものを創造することができるのではないか。こちらは、同じ時間、同じ内容を正確に伝えていても出てくる反応が違うし、それが自然な形。本当に必要なものを探り出し、当事者や家族と関わっていくことを大切にしていけば、必要なサービスを過不足なく提供出来るように思われる。
しかも、時代に即したサービス提供が出来れば自然と人は集まるが、人が来ないとしたらこれまで培ってきた経験値で勝負し押しつけているからだろう。一人一人にあったサービスをオーダーメイドとして提供することは難しいとしても、せめて心の声を訊いてセミ・オーダーメイドのサービス提供は出来るかも知れない。ただいまの、視覚障害者が求めているサービスを心して受けとめたいと思った。

カテゴリー: 総合
投稿者: SuperVisor
ある人から「誘導視野」について質問があった。もう一度、ブログの内容を確認した。言葉足らずであったこと、きちんと説明し切れていないことを反省し、中心視野を識別視野、有効視野に分け、周辺視野を誘導視野、補助視野に分けて説明したほうが良かったと思った。
ブログには、「実感的に言うならば、中心視野とか誘導視野とか周辺視野の区別は視力に依拠したものである。中心視野に意識が向いていると周辺視野領域の発動が押さえられる。つまり、意識が向くとき焦点化されると同時により細かな情報を抽出することが出来る。人間が動物であるという視点からとらえると、周辺視野で全体をザックリととらえている。つまり、周辺視野と呼んでいた領域が全体視を保障していることになる。このことに気づいていなかった。」と書いた。
そこで改めて説明をしたい。この場合半径で言っているので誤解のないようにしてほしいのだが、視野を4つに分ける。まず中心3°までを識別視野、3°から20°までを有効視野、20°から50°あたりを誘導視野、その外側を補助視野とする。厳密にこの区分に意味があるのかと言われると、少々心もとない。ひらたく言うと中心20°までを中心視野、20°以上を周辺視野と考えてもらえばいい。
そこで、WHOのロービジョンの視野についての定義から考えてみよう。定義では、視力と視野に分けている。視力は0.3~0.05の範囲で0.05以下は法的盲としている。視野はまず半径20°以内の求心性視野狭窄(周辺視野が欠け中心視野がある状態)か、中心から直径20°以上の中心暗点(中心視野が欠けて周辺視野がある状態)を想定している。ただロービジョンの人たちが実際に困り始めるのは、求心性狭窄の場合半径10°前後、中心暗点の場合、直径10°を超えたあたりからであるが、視野の欠損は様々であるし、視力とも関係があるので一概に言い切れないことに注意したい。
実際の現場で感じてきたことは、われわれが視野の原理について正確に教えられてこなかったし、周辺視野の見え方を具体的に知らないことにより、視野を意識化することが困難なことにある。つまり、見え方は様々な環境により変化する上、見えることがあまりに自然で無意識に感じているために、一端見えにくくなってもその不自由さを説明できない。言い換えると、症状については訴えられるのだが、不自由さの具体的な状況を訴えられない。更に、見えているイメージや不自由さを上手く表現できない。脳がFilling inすることに誰もが無自覚であるからだ。専門家と言われている人たちも、症状からくる不自由さを想定することがある程度出来たとしても、具体的な日常生活レベルに落とし込むことを難しく感じるため、症状に焦点してしまいがちである。
そこで、まず取り組みたいのが、どの距離、位置、面積が見える、見えないかを意識化することにある。視野についての理解が深まれば、目線をどの位置に向けると見やすくなるかがわかり必ず再現性が出てくる。その時に自ら仮説を立て、様々な日常生活レベルに落とし込んでみる。その際に基準点を60cm前後の手の届く範囲までの作業(近見)と60cm~2m程度の屋内作業(中間)と3m以上の作業(遠見)といった風に分けて検証してみるのもよい。
症状からの意識化は、例えば求心性狭窄の場合は30cmから60cm、1.5m,3mと視野の面積が大きくなる方向に、中心暗点の場合は、1.5mから60cm、 30cm、15cmと視野の面積が小さくなる方向に丁寧に見え方を押さえていく。その際、単純に風景を見るのはあまりお勧めできない。見えない景色を脳がFilling in(つじつま合わせ)するからだ。意識化するには、カレンダーの数字や文字を見るのがよい。あるべき場所に数字や「はね」がなければ、見えない部分に気づけるからだ。
先に「誘導視野」を質問してきた人は、求心性狭窄で視野が半径1.5°程度。60cmの距離で3cmの15cmの距離だと7.5mmの範囲しか見えない。けれど耳側の誘導視野を活用すれば、6cm×6cm程度の大きさに拡大すれば字も読めるし、路側帯の白線を確認出来ることから歩行上安全にも歩ける。聞き慣れない言葉や専門用語はあまり使わない方がいいように感じた。
カテゴリー: 総合
投稿者: SuperVisor
先日、新聞で取り上げられていた記事の中に、ラブラドルレトリバーが浦臼町の河川敷に横転していた自家用車の中で祖父と孫の生命を守った犬として取り上げられていた。よく、盲導犬協会などでこの犬はもともと泳ぎの得意な狩猟犬であるが、温厚な性格、忍耐強く知能も高いため、介助犬としての資質が高く、介助犬として相応しい犬種であるとの紹介を受けることがある。
人類と犬との関わりの歴史は随分古いらしい。盲導犬らしきものとして記録に残っているのは中世ヨーロッパの絵画の中に、橋から転落した飼主をのぞき込んでいるものが一番古いとされている。実際、科学的で計画的に盲導犬を養成し始めたのは20世紀初頭のドイツで、日本最初の盲導犬は失明した傷痍軍人のためにこの犬をドイツから輸入したものである。その一人に、日本盲人職能開発センターを創設し、視覚障害者の職域開拓と職業的自立をめざした故松井新二郎氏であったことは存外知られていない。
その松井氏の後半生の人生に関わる中で、一度も盲導犬と歩いておられず、いつも側にはガイドする人たちがいたのが印象に残っている。
盲導犬のことを考えると、双方向でのコミュニケーションにおいて会話が出来ることは重要だろう。少なくとも人と人の関係性ではきちんと話さえすればやりとりが成立する。一方、犬とのコミュニケーションはなかなか取りにくい。こちらの意図が伝わりにくいし、相手の意図もくみ取りにくい。しかも、メリハリを十分につけないといけないし、何よりも序列の世界でもある。つまり、犬に命令するしかない。けっして対等の関係性になれないような気がする。
視覚障害児・者の移動の上で、実のところ盲導犬の需要はどこまであるのだろうか。同行援護が進んでいき、その利用が適切になされるように変化していった時、盲導犬や介助犬を否定しているわけではないが、その役割はどうなるのだろうか。今と同じような気もしている。
今、松井氏に「なぜ盲導犬と歩かなくなったのですか?」と聞いておけば良かったと思うのである。

カテゴリー: 総合
投稿者: SuperVisor
明日、訓練会がある。事前の訓練内容について知らせてもらった。その中に音の使い方についての訓練希望が寄せられていた。
視覚障害の人たちに感覚訓練をしていた時期がある。一般的に「目が悪い」と感覚が鋭いと思われがちであるが、我々と大差はない。むしろ、中途障害の人たちは意識的に訓練をした方がよい。
音に関心を持ってもらうには、「遊び」感覚で行うことが望ましい。2~3分の時間、様々な環境の中で「聞こえた音」をすべてリストアップする。コツは一人ではなく2人以上ですると効果的である。音を一生懸命聴いているつもりでも、「自分も他人も聞こえていた音」、「自分は聞こえていたが他人には聞こえなかった音」、「他人に聞こえていたが自分には聞こえなかった音」、「自分も他人も聞こえなかった音(話題提供者のみ聞こえていた音)」に区分できる。みんなで、話し合うことで「音」を意識化することができるようになる。
そして、聴くことに慣れてきたら、リストの中の音を分類してみる。自然の音には「N」、人工の音(機械の音)に「M」、人のたてた音には「H」、自分の出した音「X」として。更に2~3分の間ずっと途切れることのなかった音に「C」、繰り返し反復された音「R」、たった一度しか聞こえなかった音「U」と分類してみる。
なぜ分類することが必要なのか。分類するというのは、比較、類推というフレームワークをつくることで、この類型化によって、例えば安全な音、危険な音というような分け方も出来るようになる。そして、分類が上手くいくようになると、聴覚の使い方のコツがわかるようになる。
視覚において図と地の関係(コントラスト:肌理)があるように、音にも図と地の関係がある。つまり、図と地が読めるようになると、必要な音を抽出することも容易になる。
もう一歩進めて考えてみよう。聴くことに慣れるにつれ、大きな音から小さな音、小さな音から大きな音に並べかえ、音が聞こえてきた方向や距離によって音の位置を配置しなおしてみる。これは、楽しいけれど、結構聴くことにエネルギーを使うこととなる。しかも、あまりに沢山の音があると混乱してしまう。
従って、音取りは、静かな環境から始め、にぎやかな環境へと移行していくことがコツ。まずは明日、多くを語らずここを正しく伝えるようにしようと思っている。
カテゴリー: 総合
投稿者: SuperVisor
アライグマについての新聞の囲み記事。関西のアライグマは「チキンラーメンが好き」で関東のアライグマは「キャラメルコーンが好き」らしい。その中で罠にしかける餌の傾向の違いを記事にしていた。人間もさることながら、動物の味覚もその生まれ育つ環境に左右されると改めて思った。
同じく最近の話題だが「味覚の一週間」と銘打った食育のイベントが小学生を対象に行われたそうだ。本物の味を知ってもらおうとの企画だが、毎日の一食一食が大切にされて初めて本物の良さが解るのではないかと思う。
感覚訓練で味覚訓練というのを考えて実施していたことがある。違いを感じられるようにと紅茶とかコーヒーを飲み比べてみたりした。これがなかなか難しい。コーヒーを例に取ってみる。抽出方法やコーヒー豆の煎り方、豆の挽き方、蒸らす時間、量、水の種類(軟水、硬水)等の条件を考え比べる必要がある。挽いた豆の中にくずまめが混ざっていると味が途端に変わってしまう。それぞれの豆の持つ酸味の強さ、苦みの強さ、コクの深み等を考えて提示し、銘柄を当ててもらうことなんかもした。
嗜好品としてのコーヒーを飲み慣れている人たちでも、存外微妙な差異は感じにくいことも解ったけれど、何よりもブラックで飲むのが苦手な人たち、つまり、ミルクや砂糖をたっぷり入れていた人たちだが、この人たちがちゃんと手間暇かけて抽出したコーヒーをブラックで飲むように変わっていく姿を見たときに、日常の一つ一つを、文字通り大切に「味わうこと」の意味を考えた。
今やわれわれを取りまく環境は、人工的なうま味成分に慣らされ、本物の持つ微妙な味わいをおいしいと感じることの方が難しい。本気で味覚を楽しみたくても、天然の素材が限られている。現状のファーストフードは濃い味を主流としている。これを一掃するぐらいの勢いがなければ、味覚を育てていくことが出来ないかもしれないのだ。
更に食の安全から言えば、雪印を発端とした企業の消費者を欺く各種の偽装問題がその後も続き信頼回復がなされないままであるし、食品添加物が身体に及ぼす影響について様々に議論されているにもかかわらず添加物が全く入っていない食材を探すこと自体困難極まりない。ある種矛盾しているのは、オーガニックを高いお金を払って買い安心したかのような風潮である。
人間が様々な姿形をしているように、野菜の姿形も様々であるべきで、色素を添加して美しく見せる必要もないし、虫食いがないよう農薬をたっぷり使う必要もない。
そう「味わう」ことの意味をもう一度考え直してみたい。あるがままの状態を感じてみる。外の世界に開かれている感覚器官を通して、その感覚器官の持っている力を十分に引き出しつつ味わってみる。日常のちょっとした風景の中でその感覚を使ってみる。
つまりは、「眼でものを味わう」「耳で音を味わう」「手で触れて味わう」「舌で、喉で味わう」「鼻や口で匂いを味わう」「身体全体で味わう」等々を具体的に取り組んでみること。人間の持っている身体の智慧は深いと信じている。
カテゴリー: 総合
投稿者: SuperVisor
部下が持っていた「平成15年版ロービジョン訓練ガイドライン」を開いてみた。A4版24頁の簡単なものではあるが、訓練のエッセンスが凝縮されている。ガイドラインをまとめた動機も書いてあって、引用すると「眼球運動訓練、視野の意識化等私自身のオリジナリティを明確にする必要に迫られたことに起因します」とある。オリジナリティかと思う次第。
今でも専門職の方にお会いすると「眼球運動訓練」について教示してほしいと言われることがある。文章を読んだだけでは解らないからと言う理由である。
もちろん、そのとおりで正確に伝えることは難しい。眼球運動訓練で牛乳パックをなぜ使用するのか。手に入りやすく、コントラストや文字の大きさが距離により見え方が違うこと、文字や記号を固視していて、見えている文字や記号のあるべきものがないと気づきやすいこともあって推奨していることも上手く伝わっていない。一見、眼を動かすのであれば風景でも、桟でも、光でも同じように思われるかも知れないが、脳は認知する際にある種のつじつま合わせをする。しかし、文字や記号を固視していて、レ点など欠けていれば気づきやすい。
その牛乳パックの動かし方にも注意が必要で一日一回3分から5分間、顔を動かさず牛乳パックの一文字を固視し牛乳パックを動かすと同時に眼球もゆっくり動かすように指示するが、「ゆっくり」も人それぞれ。実際のところ、中央から右端、右端で10秒停止して、右端から中央に戻ってくるまでに、時間として1分15秒から1分30秒かける。つまり、3分間の訓練と言えば一回左右に動かす程度である。実際にやってみるとわかるが、3分間取り組むだけで相当疲れる。
ロービジョンの人たちが初めて取り組むとなると、思いのほか疲れること、眼の痛みを感じるために止めてしまったりする。けれどもその辛さを押して約1ヶ月取り組むと眼の動きが滑らかになり、見かけ上の視野の広がりを感じるようになる。視野自体を連続的につなげていくことで、脳の中に蓄えられている記憶との整合がなされ、全体として捉えることができるようになる。
また、最近の知見で、習慣化するには90日間、同じ時間帯に繰り返し行うことにより定着しやすいとの報告もある。ロービジョンの方で、眼球運動訓練を継続して行えている人たちは90日を超えている人たちでもある。
正しく技法を伝達するためには、具体的にかつ丁寧な説明を心がけなければならないと反省もしている。
さて、2010年3月17日のブログに「視野の意識化」についても書いている。まだ周辺視野についてあれこれ思索しており明確には発言できなかった。人に話すにしても、当たり前にある視野の効用について普段の生活レベルから話すことが出来なかった。視野があまりに自然なため気づきにくく、周辺視野情報はなおさらである。けれど、幾つかの実験を試し周辺視野の意識化が進んでくると、周りの情報が実は驚くほど飛び込んでくることに気づいた。さらに、その見たいものをはっきり詳細にとらえたければ、中心視野をその見たいものに向けるだけでよい。視野領域を分類する言葉に惑わされていたような気がする。
 実感的に言うならば、中心視野とか誘導視野とか周辺視野の区別は視力に依拠したものである。中心視野に意識が向いていると周辺視野領域の発動が押さえられる。つまり、意識が向くとき焦点化されると同時により細かな情報を抽出することが出来る。人間が動物であるという視点からとらえると、周辺視野で全体をザックリととらえている。つまり、周辺視野と呼んでいた領域が全体視を保障していることになる。このことに気づいていなかった。
 では、周辺視野を発動させるためにどうすればいいのということになる。一つのヒントは仏像にあった。仏像は例外なく半眼である。眼がパッチリと開いていないが閉じてもいない。ならば半眼にすれば、容易に周辺視野が意識化できるかというとこれでは無理だった。半眼にしても中心視野が発動している状態は変わらない。そこであれこれ日常的に試してみた。布団にあぐらをかいて3m位先を見る。まぶたを軽く落とす感じで眼は閉じない。これは雑念を押さえられたが全体を感じるまでに至らなかった。
 ある日、電車内で反対側に座っている人の膝頭あたりに視線を落とし眼を半眼にしてみた。ここまでは、布団にあぐらをかいた状態と同じである。もう一つ試してみた。真中で見ようとせず周辺領域でまず感じてみようと意識を向けたがなかなか上手くいかなかった。疲れてきたところ、隣に座っていた女性がバックからノートらしきものを取り出したのをクリアに感じた。これはと感じた。
 それからは電車に乗るごとに、意識的に真中で見ず周辺視野で感じようと取り組んでみた。すると、周辺視野だけで、かなりの情報が取れることに慣れ体感できた。そして思い出したのが、知覚心理学者のJ.Jギブソンが書いた「生態学的視覚論」で、その本の中にソファーの椅子に座った男性が脚を伸ばした状態で片眼の視野に映る挿絵だった。それぞれの見ているものの明確さは別として視野全体に映る光景は相当なものである。その後ロービジョンの人たちに、周辺視野の意識化のトレーニングを一緒に考えようと提案し試している。
まだまだ発展途上ではあるが、周辺視野を意識化でき、偏心固視がしやすくなったとの報告もいただいている。先に書いた「視野の意識化」も参考にしていただき、視野談義を十分していきたいと思っている。
カテゴリー: 総合
投稿者: SuperVisor
 今年は色々な不思議に出会いつつ、ロービジョンケアについての思索が深まっている。特に、9月中旬から現在に至るまでの個々の不思議が、将来一つにつながっていくのではないかという期待と一連の流れの中に「、呼びかけられていること」は何だろうかと自問している。
 9月中旬、小倉にロービジョンケアの手伝いに行った。その後、長崎に旅行に出かけた。26聖人殉教の巡礼の道を歩いている最中、一寸した祠を見つけた。それが「生目神社」だった。目の神様で、自分の年齢より一つ多く「目」を絵馬に書き奉納して眼病治癒の願をかけるのだが、本社は宮崎市内とのことであった。目の仕事をしていて初めて、眼病治癒のための神様がいることを知った。
 同じ週の休日に妻を伴って唐招提寺に出かけた。何回も唐招提寺に行ってはいるが、宝物殿に入ったことが一度もなかった。何気なく中に入った。そこに「獅子吼菩薩」という仏様が安置されていた。「三つ目がとおる」という漫画の主人公の眉間に絆創膏で隠されている第三の「目」があったことを記憶しているのだが、この獅子吼菩薩がそうだった。
 なぜ、ここに目があるのか本当のところよく解らない。この第三の目にあたるところを松果体(腺)と言い、目が退化した痕とも言われるが、「方法序説」を書いたデカルトは、松果体を心の座として想定していた。そんなことをふと思い出しながら、眼球運動時に脳のある領域が活動化される事などを思い巡らした。
 10月に滅多に見ない夕刊を斜め読みしていたら滋賀の木之本地蔵院の「身代わり蛙」が取り上げられていた。ここの地蔵様は戦国時代から「目の仏様」とされていたようで、このことも初めて知った。
 10月中旬にシニアの読書を考えたいとのことで、新聞社から取材された。視野を中心にした機器の話をしたが、記事に相応しくないかもと危惧しつつ、京都の熱心な眼科の女医さんを紹介した。その記事が11月上旬に全国版に載った。
 そのことを妻に話した。妻の友人の旦那さんも眼科医で、その女医さんの近所に住んでいること、同じ大学出身で知り合いであることが判明。更に僕の学生時代からよく知っている先輩で、東京で開業している内科医がその二人と同窓で、張り巡らされた「縁」のようなものを感じた。
 11月下旬に半日出かけた仙台のロービジョンケア。患者さんとのライブでの応対にワクワクした。大学病院の外来から5年近く離れており不安でいっぱいだったが、一人一時間の枠の中で対話しながら患者さんが元気になられる姿を見て、改めてもっと取り組みたいと思った。
 そして、12月上旬の札幌へ出かけた。「ロービジョンケア北海道」という会に行ったが、ここは毎月活動していて、今回で21回目とのこと。当事者、専門家が忌憚なく話し合っている場でもある。そこで眼球運動訓練や歩行時における目の使い方などを話し合え、とても刺激的。
 更に「ロービジョンケアの実際」が今年の9月に中国語訳された、出版社から謹呈ということで一冊送られてきた。
 ここ5年の処遇から考えると一つ一つが偶然ではなく必然なのだと感じはじめている。つまり、この今という状況が生み出されるための数年間の苦しみであり、何に、どう応えるのかが問われているように思っている。
この不思議な連鎖を噛みしめつつ新たな一歩を歩む大切な年末の時を過ごそうと考えている。