カテゴリー: 総合
投稿者: SuperVisor
離島ロービジョン相談に出かけた。6名の方とお出会いすることができたが、一番若い人で60歳だった。その方たちは、島の交通機関の不便さを押して参加してくださったのだが、いったいどれほどの人が参加をあきらめざるを得なかったか。とりわけ、60歳のベーチェット病の方は、生業が大工で、すでに子どもに譲っているものの、まだまだ様々な可能性があるのに、地域の眼差しが気になり、率直に生き切れないその現実を後ろ姿で
見せてくれていた。押入れの改造をしたり、手仕事をとても大切にしている。船を所有していて、甥に連れ出してもらって海釣りをする。ただ、人的パワーがないため、思いのままに生きることができない。いや、むしろ、地域の好奇な眼差しから身を守るために、敢えて、何もできない視覚障碍者を演じている。もっと、地域の中に社会資源があれば、同じ日本人として、生き生きとできるはずだ。一日3便のバスしか走っていない状況の中で、あなたのできることをしましょうよと言う言葉はとても虚しい。改めて、システムや方策を考えるのだ。
見せてくれていた。押入れの改造をしたり、手仕事をとても大切にしている。船を所有していて、甥に連れ出してもらって海釣りをする。ただ、人的パワーがないため、思いのままに生きることができない。いや、むしろ、地域の好奇な眼差しから身を守るために、敢えて、何もできない視覚障碍者を演じている。もっと、地域の中に社会資源があれば、同じ日本人として、生き生きとできるはずだ。一日3便のバスしか走っていない状況の中で、あなたのできることをしましょうよと言う言葉はとても虚しい。改めて、システムや方策を考えるのだ。
カテゴリー: 総合
投稿者: SuperVisor
僻地のロービジョンケアに思いを巡らしている。僻地と言うと離島や交通機関の不便な場所をイメージするかもしれない。しかし、現実に同じ圏域であっても、かなり異なる。しかも、意外と大都市圏であっても、ロービジョンケアを受けるには不便な環境条件もある。なぜ、そんなことを考えるのか。実は、離島でのロービジョンケアに携わって2年目になる。一年に一回、その一日だけに何人かの方が集まってこられる。情報としてその方たちに伝わったこともさることながら、いったいどれくらいの人たちが知らずにいるのだろう・・・。これは、先に述べたように僻地のみならず、ロービジョンケアの進んだ地域でも多かれ少なかれあること。
そして、また思うのだ。どんなメソッドを創造すれば、どの地域でも対応可能なのか。経済的に厳しい地域では、限られた条件の中で最大限の可能性を引き出さないと難しい。逆に経済的に豊かな地域であれば、様々な条件が選択可能なため分散してしまっても、それなりに解決したという錯覚に陥るかもしれない。
明後日の僻地訪問を前に、改めて、今年の自分なりのテーマを考えている。
そして、また思うのだ。どんなメソッドを創造すれば、どの地域でも対応可能なのか。経済的に厳しい地域では、限られた条件の中で最大限の可能性を引き出さないと難しい。逆に経済的に豊かな地域であれば、様々な条件が選択可能なため分散してしまっても、それなりに解決したという錯覚に陥るかもしれない。
明後日の僻地訪問を前に、改めて、今年の自分なりのテーマを考えている。